いつでも会えるってどんな絵本?
今回の絵本は1999年に出版された「いつでも会える」という絵本について解説していきたいと思います。
「いつでも会える」という絵本はグラフィックデザイナーでもあり絵本作家でもある菊田まりこさんの作品で、この「いつでも会える」という絵本は1999年度ボローニャ国際児童図書展のボローニャ児童賞・特別賞を受賞し、今もなお語り継がれている感動の名作の1つです。
主人公のシロという犬が、みきちゃんという飼い主と死別し、みきちゃんとの別れを理解できないシロが必死でみきちゃんを探し続けるという内容です。
本自体も非常に薄く、文字もイラストもかなり少なくシンプルに構成された絵本ですが、この1冊に愛する人との別れ、そしてそこから取り残された者がどのように立ち直るのか、そして子供に死というものをどのように語り、前を向かせるのか、ということを非常に物語っています。
今回はこの「いつでも会える」という本の内容と、何を私たちに伝えているのか、その内容について共に探っていこうと思います。
いつでも会えるのストーリー
ぼくは、シロ。
みきちゃんのイヌ。
うれしくて、
しあわせだった。
みきちゃんが、だいすきだった。
ずっといっしょにいられると思った。
どうしてかな。なんでかな。
みきちゃんが、いなくなった。
ぼくは、いつもさみしくて、
かなしくて、
ふこうだった。
みきちゃんに会いたかった。
とっても会いたかった。
どこ?どこ?どこ?どこ?どこ?どこにいるの?
シロってよんで。あたまをなでて。
シロ、シロ。もういっしょにあそべなくなったね。
いっしょにごはんもたべれなくなったし、あたまもなでてあげられない。
でもね、そばにいるよ。いつでも会える。
今もこれからも、ずっとかわらない。
それは僕をよぶとてもなつかしい声。ぼくは、シロ。みきちゃんに会えた。
めをつむるとね、みきちゃんのこと考えるとね、
いつでも会えるんだ。
とおくて、ちかいところにいたんだね。まぶたの裏でぼくらはかわらない。
ぼくらは、あの時のまま。
ぼくはシロ。みきちゃんにいつでも会える。
引用 菊田まりこ 絵本 「いつでも会える」
死について子供に伝える一冊
いかがだったでしょうか?今回は全文を紹介しましたが、とても内容もシンプルだっだと思います。そしてとても純粋で悲しくも、前向きな話でしたね。
この「いつでも会える」がなぜこんなに感動できて、そしてオススメなのか、それを探っていきましょう。
とにかくシンプル
何度も述べているように、この絵本はとてもシンプルです。まず文字数に着目すると、1ページ1ページが一言程度しかありません。
ちょっと長くてもみきちゃんがシロに天国から声を掛けているページや、シロの回想シーン(上記の画像)。それでもこの文字数の少なさです。
絵本は文字数が多ければ多いほど、年齢層も上がります。当然あまり理解できない乳幼児は読んであげても、すぐにパラパラとめくってしまい、話の腰を折ってしまいます。ですが、この文字数なら飽きる前にどんどんページをめくれるので、パパやママも、そして子供も混乱することなく、このストーリーの内容が理解できるのです。
そして内容もシンプルであり、登場人物もシンプルです。登場するのはみきちゃんとシロしかいません。そしてシロとみきちゃんとの日々、みきちゃんの死、みきちゃんとの思い出、そしてシロが立ち直っていく姿。他に余計な情報を一切排除しているからこそ、この物語は私たちの脳と涙腺にダイレクトに届くのかもしれませんね。
そしてデザインもシンプルです。グラフィックデザイナーでもある菊田まりこさんの絵本ですが、グラフィックデザイナーというとカラフルに色を使いそうなイメージですが、この絵本で登場する絵本は黒と黄色だけです。これもまた、余計な情報を一切遮断して、みきちゃんとシロの物語にスポットを充てているのではないでしょうか。
死というものを子供に伝える
「ママ、おあばちゃんはどこに言っちゃったの?」
「あんなに元気だったポチはなんで動かないの?」
子供にこんな事を聞かれると、困りますよね。
子供も幼いながらに、死というものに直面する機会があります。大好きな祖母や祖父、あんなに愛したペット。
死というのはそれだけ身近で、死というものに対する疑問を持つのももっともだと思います。ですが子供達に死についての説明をするというのは大変なことですし、そもそも私たち大人も死とは何なのか、理解することは出来ていません。
死後の仮説はいろんな宗教や哲学で語られていても、最終的にはそれは仮説に過ぎず、本当に死が何なのかを理解するのは死んだ人だけなのかもしれませんね。
私からすると、死というのは本質を知ることではなくて、残った者が死をどのように捉えて、どのように前向きに生きていけるか、そのように捉えられれば良いと考えています。
この絵本の中でシロは、目をつむればみきちゃんにいつでも会えるという結論を残しました。これって、似たような歌がいくつかありましたね。
秋川雅史さんの「千の風になって」、そして平井堅さんの「瞳を閉じて」。
「朝は鳥になって あなたを目覚めさせる。夜は星になって あなたを見守る」
「瞳を閉じて君を描くよ それだけでいい。失くしたものをこえる強さを君がくれたから」
人が愛する人を失い、乗り越える考え方は大きく2つ。
亡くなった人は何かになって、そしてあなたのそばで幸せを願い続けているということ
思い出として常にあなたが記憶していることで、亡くなった人はあなたの傍に寄り添っている
という2つの考え方なのではないでしょうか。
シロは後者として考えることで、前を向くことが出来ました。死者がどうなったのか、それは私たちが勝手にそう思い続けて良いし、そう子供に教えて構わないのです。大切なのは、子供がそこで前向きに生きていけること、きっとあなたのことを見守っていることを伝えてあげる。その全てがこの1冊に詰められているのではないでしょうか。
もし自分が最期を迎えたら
ここまで「いつでも会える」という本についての内容を深く見てきました。死という難しい題材に対してこの1冊に全てが詰まっている。そして何度見ても泣けるし、書いている今でも涙が止まらない本です。
愛する身近な人を失ったとき読んであげたい本ですが、私ももう1つ思うところがあって
もし、今自分自身が最期を迎えるとき、今娘に自分が死ぬことを伝えるならば、やっぱりこの絵本を読んであげるのだろうな、と思いました。
だって、娘の中で私の事を常に覚えていて欲しいし、でも悲しまずに前を向いて欲しいから。
この本の最後に、前を向き生きていくシロに、天使になったみきちゃんが笑顔でシロをみつめるシーンがあります。これは一体何を意味するのでしょうか。
私はこの本は愛する者を失った子供を勇気づけるだけではなく、死にゆく人が愛する者を残して逝くとき、読んであげたい本なんじゃないかなと思います。
生き続ける者だけではなく、死者も安心させる絵本。そんな空想が絶えないのは、私だけでしょうか?
最後までお読みくださりありがとうございました。
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