予想できない世の中をどう生きていくか
現代の教育のアプローチは今まさに変化しようとしています。先生や年上の人が子供に正解を押しつける管理型の教育法から、子供達自ら考え、正解を導いていく脱管理型社会に方向転換しようとしています。
なぜこのような教育方針が転換したかというと、時代が変わったからです。現代の日本の未来はどのように変化するか、もはや予想はつきません。世界中でも未曾有の事が起こり、もはやこれまでの人生経験や予想値、そしてこれまでの教育方法では子供達は乗り切れないのです。
今後は子供達が自ら考え、自分の得意なことを専門として、新たな時代の予測をして、自分たちで正解を出していかなければなりません。もう誰でもみんな上の言うことに従い、同じ方向を黙って向かえば良いという無個性教育は不要な時代になっているのです。
教育というのは時代によってアプローチが変わります。いや、教育に限らず景気が良いときや、人の支配体制が変わる時には教育の方針というのは経済面、政治面、あらゆる考え方が変わります。
ではなぜ、そもそも無個性教育が起こったのか、そして無個性教育が起こる背景には何が起こったのか、それを見ていこうと思います。
人工ボーナス期と人工オーナス期
昭和の時代はなぜ無個性教育が主流となっていったかと言うと、これは経済面における、「人工ボーナス期」と「人工オーナス期」という2つの側面からお話しします。
人工ボーナス期というのは、いわゆる人口がどんどん増えて、若い人たちがどんどん増えている状態です。労働力がどんどん増えて、消費が活発になり景気がどんどん良くなっていく、そして社会福祉負担は軽くて済み、経済は良くなっていきます。いわゆる高度経済成長ですね。
一方で人口オーナス期というのは、人口がどんどん減っていって、若い人たちがどんどん減っている状態です。労働力も消費力も減少し、社会福祉負担はどんどん大きくなり、経済は縮小していきます。まさに少子高齢化社会である今の日本の状態です。
人口ボーナス期の特徴
人口ボーナス期においては、企業も国もどんどん儲かって雇用も増えます。特別な事がなくても儲かるため、新しい革新を起こす人や、企業のやり方に疑問を持つ人はいらなくなります。ただ黙って企業や組織に従って手を動かしていれば良い、そんな考え方になっていました。
仮に個人が「こうしたら良いと思います!」なんて上に言ったりしたら左遷させられたり、シバかれたり、でもそんなことも許される時代でしたから、頭が良くても下っ端だった人はどんどん口を閉ざして思考停止していきます。
しかしそれでも給料は上がるし、国の景気も良くなるので、下手に口を出すよりも、今の安定を享受していこうと考えていく人の方がきっと多かったことだろうと思います。
そして教育面に関しても現代でも行われている管理型の教育が主流となります。みんなが先生に向けて身体を向き、先生の言う正解だけを正解とします。違う意見や、違う考えの人の意見は尊重されることはありません。
人口オーナス期の特徴
一方人口オーナス期のように、人口がどんどん減少している時代で、少子高齢化社会になると、雇用できる若者、そして消費が活発な若者が少なくなるわけですから、当然景気も悪くなります。そうなると今まで何となく商売しても儲からなくなるし、今までやってきた事も通用しなくなって行きます。
なので、新しいことや柔軟に対応できる能力が無いと、この時代では勝ち残っていけません。人材もみんなが企業の言うことを聞くことに慣れてしまっているから、組織の上の指示待ち人間になり、新しいことを提案したり、異論を発することは出来なくなってしまっています。
教育面に関しても、管理型社会から脱して、脱管理型社会に方向転換する時代になります。正解の無い世の中ですから、正解の無い中で自分たちがどのように考え、どのように行動していくか、自分たちで答えを出していかなければなりません。
個人が押しつけられた正解から抜け出し、得意な能力に特化していく、まさにそんな時代なのであり、今の時代に必要な教育なのです。
人口ボーナス期の負債
何も考えなくても給料が上がっていく人口ボーナス、高度経済成長期羨ましいと思うかもしれません。ですが、人口ボーナス期は恐ろしいリスクが存在します。
1つは人口ボーナス期というのは確実に終わりを告げるということです。人口が増え続けますが、やはりどこかのタイミングで人口は減ります。故に人口ボーナス期というのはいつまでも続くわけではない。ですが人口オーナス期というのは確実に終わる保証はありません。
人口が減ればいつかは人口が増えそうなものです。もちろん一時的な回復はあり得ますが、人口ボーナス期のような一気に人口が増えるという可能性は低く、国や組織、個人が相当努力しなければ好景気に上り詰めるのは難しいです。
そして2つめは人口ボーナス期の考え方を修正できないということです。結局は高度経済成長で組織は成功できたんだから、うちはこの考え方で行くぞ!という考え方から抜け出せずに、現在の日本に対応できない企業も多くいます。
年功序列なんて最たる例で、現在の若い人たちはいかにこの考えがおかしなものか理解していると思います。仕事が出来なくても年収1000万円、どんなに優秀でも新人というだけで年収300万円。しかし、そんな考え方を昔の人たちは当たり前だと思っているし、自分たちがまさに美味しい時代だから、それを転換できずにいます。
現在の若者達の仕事への意欲が無いのは常識が無いからでも教育のせいとも思わないです。その原因は人口ボーナス期の理不尽な考え方や仕組みを当然のようにしている人が、若者達のやる気を削いでいるのではないかと私は思っています。
無個性教育が日本を壊してきた
少し話が逸れてしまいましたが、人口ボーナス期は無個性教育、人口オーナス期は個性を尊重する教育、このように時代によって教育が大きく分かれたわけです。
ですが、私はそもそもどんな時代にも個性を尊重する教育が必要であり、無個性教育というのはそもそも必要ないと考えています。
例えどんなに景気が良くなり、給料が上がっていってしばらく安定だとしても、国や組織のやる事に何の疑問を持たずに黙って従わされて、自分のやりたかったことを抑えて、国の景気や方針次第で個性が活かされずに終わってしまう。それは果たして人の一生として大切な事なのか。
国や組織の言うことに黙って従うという方針は様々な危険を伴います。自由に発言できないということは仮に戦争に向かっていったとしても誰も止められないという悲劇をもたらしました。それが第二次世界大戦の日本です。
会社の間違いを誰も指摘できないということは、必ずどこかで不祥事や大事件が起こります。最近ではビッグモーターの事件がありましたが、日本で起きた工場による公害事件は、事実や間違いを隠蔽し続け起きた事件です。
そして、正解を押しつける教育はそうでない人間を排除するので、必ず落ちこぼれが出てきます。彼らは本当に落ちこぼれなのでしょうか?理不尽な社会や正解を1つしか決めない正解を選ばない人間は本当にダメなのでしょうか?
無個性教育はさまざまな危険な考えと、理不尽な考え、そして次の世代にその意味の分からない考えを訂正しなければいけないツケを回すことになるのです。
何が起きるか分からない時代はこれからも続き、そして例えそこから脱することが出来ても、私は無個性教育は不要な考えだと考えています。時代が変わるから無個性教育があるのではなく、そもそも無個性教育は今後不要なのです。
むしろ景気が良くて、国が上向いているからこそ、人はもっと活発に発言し、行動し、自分たちの個性を存分に活かして良い時代にしなければならないと考えています。
大人達から考え直す
これからの時代は本当にどうなるか分からない時代がやってきます。突然の経営破綻やコロナウィルスの到来。誰もが予想できた未来ではなかったはずです。
それでもあなたは子供達にどうなっていて欲しいでしょうか?きっと自分らしく個性があり、その個性を存分に活かして幸せになって欲しいと思っているはずです。
だからこそ、大人達が現在の日本の在り方を見つめ直し、大人達からまずは考え直すことが求められています。今の仕組みや制度は子供達が将来笑っていられる上で十分でしょうか?子供達は生き残れるでしょうか?
ここを個人個人で考えていくことで、新しい世界を切り開けるはずです。
教育という仕組みのことを、改めて一緒に考えていけたらなと思います。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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