大人も子供も読める絵本
100万回生きたねこ。私も名前は知っていたし、子供の頃読んでいた人も多いかもしれないというド定番の絵本かも知れませんが、私が今回読んでとても感動したので是非オススメしたい一冊です。
誰かを愛するということの幸福。そして愛されることの尊さというものを教えてくれる感動の絵本です。ただ3歳の私の娘には早すぎましたね。対象年齢としては小学生以上向きの絵本かなと思います。なので大きくなったときのためにいつまでも手に取っておきたい大切な本になりそうです。
それだけじゃなくて、個人的にはたくさんの気付きや伏線なども含まれていて、大人にも読んで欲しい、そんな作品になってるんじゃないか、ということで私なりの考察や考えも取り入れてみました。これを知れば100万回生きたねこがもっと楽しくなる。そんな内容を描きたいと思います。
100万回生きたねこの内容
100万回生きたねこがいました。100万回生きて100万回死んだのです。ねこには生まれ変わる度に飼い主がいました。
ねこはあるとき王様のねこでしたが、ねこは王様のことが嫌いでした。あるときねこは戦争中に矢が刺さり死にました。ねこを可愛がっていた王様はねこを泣きながら埋めました。
あるときは船乗りのねこでしたが、ねこは海が嫌いでした。あるときねこは海に落ちて溺れて死にました。船乗りもねこを可愛っていて、泣きながら埋めました。
あるときねこは手品つかいのねこでした、ねこはサーカスが嫌いでした。あるときサーカスでミスして猫を真っ二つにしてしまいました。手品つかいもねこを可愛がっており、泣きながら埋めました。
あるときは泥棒のねこでしたが、ねこは泥棒が嫌いでした。あるときねこは犬に噛まれ死にました。泥棒もまた、ねこを可愛っていて、泣きながら埋めました。
あるときねこはおばあさんのねこでした。ねこはおばあさんが嫌いでした。猫はおばあさんの膝の上で年をとり、やがて老いて死にました。おばあさんもねこを可愛がっており、泣きながら埋めました。
あるときねこは女の子のねこでした。ねこは子供が嫌いでした。ねこは子供のおぶいひもに首が絡まって死にました。女の子もねこを可愛がっており、泣きながら埋めました。
そしてねこはあるとき誰のねこでもありませんでした。ねこは自分のねこになりました。ねこは100万回生きた事を周りに自慢すると多くのメスねこからモテました。たくさんの贈り物をもらいました。
しかし一匹、白いねこだけはねこの自慢話に関心がありませんでした。100万回生きたねこは気になりそばでたくさんの自慢話をしましたが「そう」とだけ言って関心を示しませんでした。
あるとき100万回生きたねこはいつものように自慢しようとしましたが、ふと言いました「一緒にいてもいいかい・・」と、白いねこは「ええ」と言い、その後2匹はずっと一緒にいました。
やがて2匹の間に子供も生まれ、子供も独立していきました。ねこは白いねことずっと一緒にいたいと思いました。
ある日白いねこはしずかに動かなくなりました。100万回生きたねこは100万回泣き続けました。そしてある日泣きやみ、白いねこの隣で動かなくなりました。
そしてもう、けっして、生き返りませんでした。
白いねこは100万回生きたねこを愛していたのか?
と、これがざっくりと今回のお話の内容でしたが、いかがだったでしょうか?
100万回生きたねこは白いねこの死を悲しみ、初めて愛するということ、そして愛する者の死という悲しさを知ったのではないでしょうか?
ところでもしこの絵本の中にこんな一文があったらあなたはどう思うでしょうか?
「白いねこは、100万回生きたねこなんか嫌いでした」
私はこれを考えました。白いねこが100万回生きたねこを好きだったのか?それを具体的に示す文はどこにも無いんですよね。ただ、白いねこは最初から最後まで「そう」「ええ」というそっけない返事の2つしかしていません。これは必ずしも白いねこは100万回生きたねこを好きだったとは限らないという伏線なのかもしれません。
「好きだったに決まってんじゃん!じゃなきゃ子供まで作って一緒にいないでしょ?」
と思うかもしれません。しかし、それを覆す話が一度だけありました。それはおばあさんのもとに暮らしていた時代です。散々な死に方をした100万回生きたねこですが、おばあさんのもとだけは年を取って生涯を全うしています。それもおばあさんのひざのうえにずっといた、という話がありましたよね?
普通におばあさんの立場から考えれば、いつもひざの上に乗っていたねこ。きっと相思相愛だったと感じるのが普通ですよね。ですが、そうではなく100万回生きたねこはおばあさんが嫌いのまま年取って死んでいった。つまり嫌いであっても生涯を全うしたという何かフラグのようなものを感じます。
そう考えると前半の話と後半の話がバチッとつながるんですよね。なぜ飼い主が好きか嫌いかなんて一文が必要だったか、ということにもなんとなく納得できる話ですし、最後のこの疑問につながる話でもあると思うのです。
そして、もし白いねこが自分を愛さないで死に、自分がこんなにも愛して残されてしまったということを気付いたとき、飼い主の愛を初めて知った懺悔の気持ちももしかしたら涙に含まれていたのではないか、そんな意味合いも感じるようになりました。
・・・という想像も働いたのですが、最後は私はやはり白いねこは100万回生きた猫を愛していた。という考察を最終的に出しました。
やはり白いねこも百万回いきたねこを愛していて、それを知っているからこそ愛されること、そして愛すことの幸福と尊さを知り、白いねこが死んだ際にそれだけ悲しかったのではないかと考察しています。
あなたはこの絵本の内容をどのように考えますか?
是非手にして読み、自分なりの想像を働かせてみてください。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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