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小説、フランケンシュタインが伝えたいことと要約
今回は小説、「フランケンシュタイン」を読破しました。
実はフランケンシュタインはかなりの長編小説で、読み終えるのに4時間以上の時間を費やしました。
フランケンシュタインは大学時代に課題として講義を受講し、当時英文を訳して内容を理解するという地獄のような授業でした。全てを訳した訳ではないですが、日本語でもこれだけのボリュームと難解な英語を訳しながら勉強していたと思うとゾッとします。
しかしながら、このフランケンシュタインの話を知れば知るほど現代だからこそ知って欲しい内容です。まず、フランケンシュタインというと大体こんな感じの怪物が浮かんでくるのではないでしょうか?
とりあえず背が大きくて縫ったような跡が所々あり、ネジなんかが身体にあり、内容はよく知らないけど、こんな感じの知能の無い怪物が動き回っているホラー小説かなんかというイメージが強いと思います。
ですが、そんな抽象的にフランケンシュタインという話を解釈するのは勿体ないです。なぜなら現代まで問われている問題が詰まっているからです。
1、創り出した「命」に対しての責任を果たせるか
2、大きな「発明」は時として自分と他人を苦しめる
3、不幸な人間が犯罪に手を染める心理
「科学」「人間」「幸福」。フランケンシュタインの小説が作られた背景には産業革命やテクノロジーの進歩。そして「神」という存在に対する存在への疑問など、この当時から現代に至るまで出ていない課題がたくさん詰まっているのです。
そしてこの怪物を題材としたのが若干20歳の少女であったメアリーシェリーでした。
なぜ20歳の女の子がこのような小説を書いたのか。メアリーシェリーの生涯という視点からも、フランケンシュタインの誕生を探っていきましょう。
小説 フランケンシュタインの登場人物とあらすじ
登場人物
ウォルトン
-北極に冒険に行く途中に怪物を目撃する。そして創造主のフランケンシュタインが死にかかっているところを救出して、彼の経歴を聞く。
ヴィクトル・フランケンシュタイン
-怪物を生んだ若い科学者。怪物を生み出し、その命を拒絶したため、怒った怪物に家族や友人を殺される。
怪物
-フランケンシュタインが創り出した醜い生物。創造主のフランケンシュタインや人間からその存在を拒絶され、迫害された怪物は創造主であるフランケンシュタインの家族や友人を殺害する。
アルフォンス
-フランケンシュタインの父。家族が次々と死んでいき、ショックで最期は衰弱死してしまう。
エリザベート
-フランケンシュタインの許嫁。怪物に殺される。
ウィリアム
-フランケンシュタインの幼い弟。怪物に絞め殺される。
ジェスチーヌ
-フランケンシュタインの父の女中。怪物によってウィリアム殺しの罪を着せられ絞首刑にされる。
アンリ・クレルヴァル
-フランケンシュタインの無二の親友。イギリス旅行中に怪物に殺される。
エルネスト
-フランケンシュタインの弟。なぜか彼だけ怪物のターゲットにならず、兄のフランケンシュタインにもあまり心配されず、生き残ったがどうなったかは分からない。ある意味一番可哀想な、ルイージ的な存在。
※フランケンシュタインは名字なので、正式には家族はほとんどフランケンシュタインですが、ここでは主人公であるヴィクトル・フランケンシュタインのみを「フランケンシュタイン」と呼びます。
※怪物の名称を「フランケンシュタイン」と勘違いされがちですが、怪物には名前が無いので「怪物」で通します。
怪物の登場
ウォルトンという探検家が北極に探検に向かう際に姉に向けた手紙から始まります。北極に向かうために乗組員を雇い、北極を目指しますが、氷に囲まれ船を動かせなくなってしまいます。
困り果てているときにあるものを目撃します。ソリに乗った何かが走って行くのを遠くから目撃したのですが、それが人間か何なのか、一瞬では判断できませんでした。
さらに後日、漂流して死にかけている人間を発見したのでウォルトンは救出します。介抱してあげて話を聞いてあげると、どうやら前日に見た異形の者を追いかけているらしいということが判明します。彼こそが怪物を創り出したヴィクトル・フランケンシュタインでした。
そして彼はこれまでの経緯を語り始めます。
フランケンシュタインの怪物
フランケンシュタインは大学時代に成績が優秀で、とある研究に没頭を始めます。それこそが「命」を創り出す研究です。彼は人間や動物の死体の断片を集め、それを繋ぎ合わせ生命を吹き込もうとしました。
やがて長い年月を経て集めた死体から「命」を宿すことに成功しますが、あれだけ「命」を創り出すことを切望していたにも関わらず、自分が創ったその怪物に恐怖し、逃げ出してしまいます。
その後もう一度部屋に戻ってみると、その怪物は消え、怪物を創った後悔と恐怖の念が常に彼を襲いますが、何事も無く2年の歳月が経ちました。
弟の死と女中の死刑
そして2年が経った頃、実家であるジュネーブからある手紙が届きます。その内容はフランケンシュタインの幼い弟、ウィリアムが死んだという手紙が届きます。フランケンシュタインは帰路につく途中、怪物の気配を察知し、ウィリアムを殺したのは自分が創り出した怪物だと確信します。
実家に帰ると、ウィリアムを殺したのは状況証拠からジェスチーヌだとされ、彼女は捕まり死刑判決が下ります。もちろん犯人は怪物なのですが、フランケンシュタインは自分の創った怪物が弟を殺したなど言えるはずもなく、またそれを信じてもらえるはずもないので、言い出せずに時が過ぎてしまいます。
結局誰もジェスチーヌの無罪を証明できずに彼女は処刑され、無罪の命は奪われてしまいます。
怪物の願い
その後フランケンシュタインは遂に怪物と対峙する瞬間を迎えます。フランケンシュタインは怪物に罵詈雑言を浴びせてその存在を否定しますが、なんと怪物は言葉が話すことが出来て、話を聞いて欲しいと言うのでした。
フランケンシュタインも不幸な「命」を創り出した後ろめたさから、彼の話を聞いてあげることにしました。
怪物は命を吹き込まれた後、多くの人間からその醜い見た目で迫害され、住むところも、助けてくれる人もいないまま独りぼっちで彷徨っていました。
とある村の小屋で身を潜めていると、若い男女と老人の暮らしをそこで見聞きすることが出来ました。彼はそこに潜伏して聞こえてくるその言葉や見えるところから人間の生活の知識などを覚えていきました。
そして言葉を覚えたら、いつか慈愛に満ちたこの家族とどうにか仲良くなり、愛し愛され過ごしたいと思うようになりました。しかし、いざ姿を現した瞬間、家族は驚き狂い、弁解の余地も無いまま暴力によって追い出されてしまうのです。
その後もひっそりと彷徨い、時には人を助けたりはしたのですが、その姿が故に攻撃され、次第に優しさや慈愛を持っても人間からは憎まれると悟り、やがてそれは復讐や憎しみへと変わっていきます。
そしてある時、ウィリアムと出会い彼と話をしてみようと思ったが、拒絶され、ウィリアムが彼がフランケンシュタインの親戚だと知ると、遂に彼を手に掛けてしまうのです。そしてその罪をジェスチーヌに着せたのです。
ここまでの経緯を話したうえで、彼は一緒に暮らしていける同族の女性を創ってくれたらもう二度と現れないという約束をすると誓います。
フランケンシュタインも命を想像したという責任と、愛する者をこれ以上殺されたくないという気持ちから同族をもう一度創ることを約束します。
約束の破棄と、殺されていく家族
一度はその約束を取り付けたフランケンシュタインですが、もう一度醜い不幸な生物を創ること、そしてもしかしたらそんな生物が繁殖して人類を脅かすのではないかという恐怖でいっぱいでした。
それでも彼はイギリスの外れの島でひっそりともう1つの命を創り出す研究を始めるのですが、遂にそれが嫌になって、創りかけていた「命」を壊し、怪物との約束を破棄する道を選びます。これを見た怪物は激怒し、フランケンシュタインの周りの愛する者を手に掛けることを宣言します。
一緒にイギリスに来ていたアンリが怪物に殺され、そしてフランケンシュタインの最愛の許嫁だったエリザベートも結婚式の夜に怪物に殺されます。そして愛する者を次々と失った父、アルフォンスもショックによる衰弱により命を落としてしまいます。
最期
フランケンシュタインは怪物をどこまでも追いかけると決め、そして北極へ来ていたのですが、頓挫してしまい、ウォルトンに救出されたというわけです。
しかし、既に体力の限界に来ていたフランケンシュタインは、遂に死んでしまいます。怪物は船に乗り込みフランケンシュタインの死を見届けると、遂に自分が生きている意味も無くなった。自分も死ぬことを決意しウォルトンの元から去って行くのです。
「命」を創り出せる現代。創り出した「命」の尊厳と責任は?
以上がフランケンシュタインの話でしたが、ここからフランケンシュタインが生まれた背景と、ここから学べる3つの事柄を見ていきましょう。
フランケンシュタインから学ぶ3つの課題
・「命」を創り出せる現代。「命」に対して責任は果たせるか?
・大きな「発明」や「行動」は時として自分と他人を苦しめる
・不幸な人間が犯罪に手を染める心理
順番に見ていきましょう。
「命」を創り出せる現代。「命」に対して責任は果たせるか?
まずこの「フランケンシュタイン」が発刊れた時代は、産業革命の登場の登場でテクノロジーが大きく進歩し、働き方や考え方などが大きく変わった時代でもあります。
そのような時代の中で、生命の研究も飛躍的に進んだようで、命を創り出したり、死者を蘇らせることも出来るかも、という研究も進んでいても不思議ではありません。
中でもこの「フランケンシュタイン」のヒントになったのが、ボルタのカエル実験というとある実験です。
これは死んだカエルの足に電気を流すと、ピョコンとカエルの足が動くという原理です。これに驚かされた人は当時多かったようで、「人は機械と同じで電気で動いているのではないか?」というヒントに結びついたようです。現代では人間の筋肉は脳から発せられる微量の電気信号によって動くことが解明されています。
この延長上で「もしかしたら死んだ人間にも電気を流したら?」という発想からフランケンシュタインが創られたのかもしれません。
クローンによるビジネスと、クローンペットが盛んな中国
そして現在、死者を蘇らせることこそ現在まで出来ていませんが、「死者と全く同じ」である「命」を創り出すという技術は発展し、既にそれがビジネスとして市場に出回っています。
それがクローンの誕生です。クローンとは実在の生命と全く同じ遺伝子を生み出すことで、既にそのような技術により「命」を創り出すことが可能になったわけです。
今やペットなどの市場で既にビジネスとして浸透しつつあります。特に中国においてはペットクローンとして「命」を創り出し、売り物として売り出されているという現状があります。
中国に限らず現在でも人間のクローンを創り出すことは禁止されています。しかし、技術的にはいつでも人間のクローンが誕生することはあり得るということです。
「使い捨ての人間」、「オリジナルの代替となるコピー」の誕生
例えば「兵士として使い捨ての人間」の誕生です。戦争の中では命も消耗品となり、その命は軽いのです。なので代わりに恐怖せずに屈強で、かつ死んでも良い人間を大量に生産できれば国力も消費することなく、戦争もしやすいわけです。
ドラゴンボールの人造人間も、「悟空を殺す」という使命のために創られた悲しい存在です。ワンピースに登場するジェルマの兵隊も主人の命令に絶対に従い、死を恐れないようにプログラムされたクローンです。
あるいは「人間の代替として創られた命」の誕生です。例えばもし自分の身体がガンになったら、クローンから内臓を取り出してしまい抹殺してしまうなど、誰かの代わりにそのコピーが犠牲になるなんてこともあり得るのです。
実際に映画「アイランド」では創られたコピーがオリジナルのために臓器を取られ、オリジナルのために出産し、抹殺されてしまうという世界が描かれました。そんな隔離された世界からの脱出を図り、コピー達が自由になるまでの物語を描いています。
このようにもし近い将来人間達が創り出された時に、創り出された「命」に人権や尊厳はあるのか?もしクローンが溢れ、生態系を根本から崩したらその責任は誰が取るのか?
現代にこそ、このフランケンシュタインの物語の「命」の問いかけは強くなっているのです。
大きな「発明」や「行動」は時として自分と他人を苦しめる
偉大な発明というのは昨今人類に大きな幸福と便利さをもたらしました。その一方で、発明や時には大きな行動をしたことにより、自分や他人を不幸をもたらし、それに苦悩した者も少なからず存在するのです。
フランケンシュタインも「命」を創り出すという発明自体は偉大でしょう。しかしその発明をしたことにより苦悩し、後悔し、そして自分の愛する家族の死という「悲劇」だけをもたらしました。偉大な発明は必ずしも人を幸福にする者なのか?という現状を問いかける話でもあります。
例えばオッペンハイマーもその1人です。
彼は原爆の父と呼ばれ、原子爆弾の開発に携わりました。日本の原爆を落とす前の「トリニティ実験」で既に「我は死なり、我は世界の破壊者なり」と嘆き後悔したと言われています。そして日本の惨状を目の当たりにして深く苦悩したと言われています。
また、毒ガス兵器を開発したフリッツハーバーもその1人です。
フリッツハーバーは第一次世界大戦中に毒ガス兵器を開発したが、そんな夫の開発に反対し、抗議のために自殺したという説があります。その後も毒ガスの開発が後々に批判や印象を悪くしていき、晩年の仕事を見つけられず苦悩の日々を送ったとされています。
必ずしも偉大な発明や発見が人類の幸福になるとは限らず、その発明や発見によって人類や自分自身を苦しめた例は枚挙にいとまがありません。まさにフランケンシュタインで描かれているフランケンシュタイン自身の苦悩と不幸のように、発明は自身の破滅を招く可能性があるということを肝に銘じるべきなのかもしれません。
不幸な人間が犯罪に手を染める心理を学ぶ
「フランケンシュタイン」の物語の中で特筆すべきことは、フランケンシュタインが創り出した怪物というのは知能がちゃんとあり、言葉を覚えるだけではなく、最初は慈愛を信じる優しい生物だったのです。
当然怪物を生み出した責任は怪物にはなく、愛を欲し、幸せに暮らしたい1つの生き物なのです。しかし、その見た目が醜いという理由であらゆる人間から迫害され、優しさや慈愛をもってしても誰にも愛されないことから、人を殺す不幸な「怪物」そのものへと変貌していきました。
果たしてこの怪物が「怪物」となった理由は、創造主のフランケンシュタインだけのものだったのでしょうか?もし、見た目だけで判断せず人間達が怪物を受け入れることが出来たのなら、結果は決して不幸な結末だけではなかったのかもしれませんね。
これは犯罪者は本当に生まれつき極悪人だったのか?という問いにも結びつきます。犯罪者が犯罪者になる理由は必ずあり、たいていの場合は不幸で、自分の行き場所が無くなり、犯罪に手を染めてしまうことが少なくありません。
もちろん、不幸や行き場所が無いからといって、犯罪をして良い理由にはなりません。しかし、犯罪者が犯罪者にしたのは本人の責任だけではなく、周りが居場所を追い、本人を追い詰めた人間達の責任も少なからずあるのです。
日本においては若者の犯罪を厳罰化して、犯罪率を減らそうという動きがありますが、犯罪を減らそうとして刑期を延ばした結果、さらに居場所をなくし、再犯率が高くなるという結果が高くなる可能性があるのは以前の記事でも話した通りです。
前回の記事はこちら
叱らない育児はやばいのか。「叱る依存がとまらない」の本の要約から、叱る危険と依存性を知る
同じように罰によって犯罪者は更生するのではなく、社会が追い詰めることによってさらなる犯罪が生まれる、という心理をこのフランケンシュタインの物語から知っておくべきであると思います。
20歳の少女と怪物。なぜフランケンシュタインをメアリーシェリーは書いたのか?
この「フランケンシュタイン」という物語を作者的な視点で考えてみましょう。そもそもなぜ20歳の少女がフランケンシュタインというおぞましい怪物の話を誕生させたのでしょうか?
このメアリーシェリーという人物を知るために、メアリーの総てと呼ばれる映画に迫ってみました
メアリーシェリーの生まれた時代は1797年8月30日 – 1851年2月1日。彼女が生きた時代はまさに産業革命の真っ只中でした。この当時は様々なテクノロジーが発展し、彼女は先述したボルタのカエル実験を見て「命を創り出すことができるかもしれない」「死者を蘇らせることができるかもしれない」というヒントを得た可能性は十分にあります。
メアリーは詩人であり、妻子持ちのパーシーシェリーと駆け落ちをします。その事によりパーシーの妻ハリエットは後に入水自殺します。
その後第一子を授かりますが、生後わずか11日後に死亡。それでも2人の逃避行生活は続き、最終的にバイロン卿のもとに身を寄せます。
バイロンもまた無責任な女たらしで数々の女性と関係を持ち、家族を置き去りにしていました。妻を持ち、子供という命を作りながらも全くそこに責任を持たない男。シェリーに付いてきたクレアとも関係を持つが父親にならず、結婚もしないと言われ拒絶されました。(養育費は払った、らしい)
こういった生活の中で、フランケンシュタインというキャラクターはメアリー自身、彼女を取り巻く自分と関わる男達がモデルなのかもしれません。好奇心と勢いで簡単に駆け落ちしたり子供は作るけど、その命や使命に責任を果たせないところがフランケンシュタインと重なったのかもしれません。
また、自分たちの駆け落ちがきっかけで1人の人間を入水自殺させ、自分たちの都合により子供を死なせてしまい、そうやって周りの人が死んでいくのを見て、自分たちの存在は「死」を生み出す怪物のように感じていたのかもしれません。
メアリー自身もそういった不幸の中にいて、さらに自分の周りの人間が死んでいくという出来事が、自分と怪物を照らし合わせて描いたのかもしれません。
その後パーシーは船が転覆して溺死。バイロンのもとで共に過ごし、名作吸血鬼(ヴァンパイア)を描いたポリドリを飲んで自殺。異母姉も服毒自殺。子供も5人のうち1人しか成人せずに亡くなっています。「フランケンシュタイン」発刊後も周りの多くの人が死に、自分は不幸と死の存在だと思っていたのかもしれませんね。
フランケンシュタインはかわいそうなのか?
ここまでフランケンシュタインの歴史的背景、そして作者の背景などに迫ってきました。この物語は産業革命による人々の思想の変化や、作者の人間的な背景をところどころに描き、さらに現代まで訴える課題が詰まっているまさに名作と呼べます。
ところでなぜこの物語は「フランケンシュタイン」なのでしょうか?日本では「フランケンシュタインの怪物」として紹介されることもありますが、私はどこまで行ってもこの本の主人公は「ヴィクトル・フランケンシュタイン」なのだと思います。なぜならフランケンシュタインの責任と行動によってストーリーはハッピーエンドにも、バッドエンドにもなり得たかもしれない。全てはフランケンシュタイン自身にフォーカスしているのだと考えています。
もし目覚めた怪物に対して創造主として逃げずに声を掛けてあげられれば、フランケンシュタインが怪物を受け入れ責任と共に彼を愛してあげられれば、きっと悲劇を避けられたかもしれない。
もしくは怪物のパートナーを創ってあげれば、家族はこれ以上犠牲にならなかったのかもしれない。しかし、そうすれば当然怪物の子孫は増えるかもしれない。多大なる責任と行動を起こしてしまった場合、どのような責任と行動を取っていくのか、それをずっと読み手に考えさせるのかもしれません。
被害者はフランケンシュタインなのか?怪物なのか?そしてあなたがフランケンシュタインならどう考えて行動しますか?
最後までお読みくださりありがとうございました。
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