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滋賀医科大学生母親殺人の母親は「叱る依存」?
前回ブログにて「叱る依存がとまらない」という本を紹介し、叱る事の危険性と依存性についてお話ししました。
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叱らない育児はやばいのか。「叱る依存がとまらない」の本の要約から、叱る危険と依存性を知る
この本を読み、実際に要約していくと、ある事件の事が頭に浮かんできました。
こちらも前回書いた、滋賀医科大学生母親殺人事件の被害者の母親についてです。
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母親を殺害し遺体を切断。滋賀医科大学生母親殺害事件。娘の苦しみと母親の狂気。親として今考えるべき事
簡単に話すと、教育虐待によって何度も医者になることを強要され、体罰や暴言を受け、医大に受かるため9浪もさせられた娘が限界を超え、母親を殺害して遺体を解体し、遺棄したという事件でした。
被害者となった母親ですが、過度の教育虐待を行っていた毒親ではありますが、彼女自身も娘を過度に叱りつける「叱る依存」に陥っていた可能性があるのではないかと考えています。
被害者の母親はなぜ、過度な「叱る依存」に陥るほど娘に医者になることを強要したのか、彼女にはどんな生い立ちがあり、何をきっかけにそのような母親になったのか。手掛かりはないのか。
この「母という呪縛 娘という牢獄」というノンフィクションの事件について書かれた本では、被害者である妙子(本書「母という呪縛 娘という牢獄」での母親の仮名)の生い立ちやそのようになった性格などについては限定的で具体的には書かれていませんでした。
しかし、今回はこの限られた情報を基に母親である妙子の生い立ちや「叱る依存」に至った原因などを推察してみたいと思います。
そして改めてこの事件から、私たちは何を考えるべきなのかを見ていきたいと思います。
母という呪縛 娘という牢獄から母親の性格や学歴を読み取る
ここからは母である妙子の経歴や性格を「母という呪縛 娘という牢獄」から読み取ってみましょう。
- 妙子の外での関係は?
- 最終学歴は?
- なぜ娘を医師にしようとしていた?
- 叔母夫婦との仲は?
- 母タカコとの仲は?
妙子の外での関係は?
妙子の外での関係は少なからず悪くはないというのが窺えます。妙子がパートをしていた時代は、同僚とカラオケやランチなども行っていて、友人との付き合いはあったようです。しかし、そのパート先での人間関係がもつれて、パートを辞めたとあります。
そのパート先でのもつれとは何だったのでしょうか?普段から娘のあかり(本書「母という呪縛 娘という牢獄」での娘の仮名)に公立の中学を「バカ高校」と呼んだり、高校時代の同級生に対して「お母さんと違って出来損ないで頭が悪いから、看護学校に行くしかなかった」など、人を卑下した態度を取っているところから見ると、やはり人を見下す癖はあったようです。
そういった普段からの態度が露見して、人とのもつれを生んだ可能性は十分にありそうですね。
最終学歴は?
妙子は公立の中学や一般の大学を「バカ学校」と呼び蔑んでいましたが、彼女自身の学歴はどのようなものだったのでしょう。
少なくとも分かるのが彼女の最終学歴は高卒であり、卒業した学校が「岩国工業高校」だということが本書で書かれています。
この岩国工業高校がどのくらいのレベルだったのかと言うと、現在で少なくとも分かるのが偏差値は50程というのが分かります。
偏差値50と言うと、私の感覚では、本当に「中」か「中の下」くらい?という感じがします。(偏見でごめんなさい)
当時の偏差値と今の偏差値はもちろん差があり、当時の偏差値がどのようなものだったかははっきりしませんが、私の経験から言うと、工業高校って少なくともそこまで偏差値が高い高校は少ないイメージですし、少なくとも山口県で屈指の名門校や、進学校である可能性は少ないです。
つまり言うと、妙子は恐らくそこまで中学から成績優秀だったというわけではなさそうです。少なくとも娘の学力の方が上で、自分も必死で勉強してきたから、娘にも勉強しろというわけではなく、大学進学してないことからも、自分自身が大理石の階段を上ったという経験や意欲は無いようです。
さらに言うと、妙子は工業高校も蔑んでいたようで、あかりが工業高校生とデートしたことに大変激怒したようで、男子とデートしていたことよりも、工業高校の人間とデートしたことに激昂したようです。その様子からするに、工業高校を卒業したことを少なくとも誇りに思っている様子は無いということが窺えます。
なぜ娘を医師にしようとしていた?
そもそもなぜ妙子は娘であるあかりに医者になることをそこまで切望したのでしょうか?
1つの可能性として、軍医だった義理の父親の影響を受けていた可能性があります。
妙子の母のタカコは妙子の実の父親の日本人とは入籍せず、アメリカ人男性と結婚するが離婚し、岩国のアメリカ海兵隊基地で軍医を務めていた別のアメリカ人と結婚し、渡米しています。
妙子は高校卒業まで、岩国の叔母夫婦のもとで育ったとされていて、高校を卒業した後、母と義父を頼ってアメリカへ渡航しているようです。少なくともそこで数年を過ごし、帰国しているようです。
アメリカでの生活はどのようなものだったかははっきりしませんが、少なくともアメリカでの生活は豊かだったようで、義父夫婦は一軒家を勝ったうえで、あかりの大学進学の多額の金銭的援助をしていたことからその様子が伺えます。
アメリカでの生活で、義父の医者であった事の豊かさや権威をどこかで触れ、衝撃的だった可能性はあります。
叔母夫婦との仲は?
先述したとおり、妙子は高校卒業まで叔母夫婦のもとで育っています。なぜ叔母夫婦のもとに出されたかは不明ですが、幼少期から育っている環境のため、ここでの性格が人格形成に影響した可能性が高いです。
少なくとも、叔母との関係も比較的良好で、あかりの学費援助の際は、叔母も少額ながら援助していることが窺えます。
ただ、叔父は酒飲みのようで、酒に酔った叔父と叔母が毎晩口論していて、酒の匂いも受け付けなかったと書かれています。酒の匂いも受け付けないほど2人の口論が嫌だった可能性があり、叔父と仲良かったのか、と言われるとそこは謎のままです。
母タカコとの仲は?
妙子の母であるタカコとの関係ですが、濃密な関係が続いていたようです。2歳から叔母のもとに育てられたにも関わらず、そのことに悲しみや恨みといった感情は本書からは読み取れなく、少なくとも仲の良い親子関係ではあったようです。
とはいえ、妙子の実の父である日本人男性とは入籍せず、最初のアメリカ人とは離婚、そして別のアメリカ人と結婚し、子供を残してアメリカに渡米しているというのが結構破天荒な性格と感じて、妙子の性格に少なからずの影響を受けていると感じます。
何が母親の「教育虐待」のきっかけになったのか?
これまでの妙子の経歴や身辺情報を読み取ったうえで、何が妙子をそこまで教育虐待に走らせたのか、過去からはほとんど読み取ることが出来ませんでした。
叔母や実の母から虐待されたり卑下した態度を取られたという様子は少なくともなさそうです。勉強することも強要されたわけでもなく、華々しい名門校にも進学したわけでも、有名大学に進学するわけでもなかったので、教育上トラウマになるような環境だった可能性は少なそうです。
可能性としてあるのは、医者だった義父の生活や豊かさを目の当たりにしたことは何かしら妙子に影響したのかもしれません。当時豊かな生活をしていたのは間違い無いでしょう。
しかしいざあかりを医者にさせると言っても、自分自身がそこまでの勉強をしたことが無い故にどのように学習意欲を湧かせたりアフターケアをしていけば良いか分からなかったのだと思います。なので医者になること、そして良い成績を取らせるために虐待という方法で勉強させるしかなかったのかもしれませんね。
「勉強しないとお父さんみたいなバカ学校しか入れないよ?」
「公立の中学なんてみっともない」
「Nはバカで出来損ないだから看護学校にしか入れなかった」
いやいや、自分の学歴差し置いて何言ってんの?とツッコミを入れたくなりますが、普段から周りの人や一般の学校を見下すことであかりに普通の中学や低レベルな学校に行くことは恥ずかしいことだ、と教えておけば頑張って勉強すると思ったのかもしれません。
なので学歴信仰が強くなったのは高校卒業後のアメリカでの生活と考える可能性が濃厚かと考察しています。
母親にとって最大の被害者は自分?
では、なぜ妙子が叱る依存だと感じるのか、「<叱る依存>がとまらない」の本から読み解いていこうと思います。
まず本書にはこのように記述されています。
叱る人にとって、被害者は自分自身であり、「叱られる人」こそが加害者だと感じる逆転現象が起きるのです
引用:<叱る依存>が止まらない 82ページより
つまり叱る側である妙子にとって、叱っている自分こそが最大の被害者であり、いつまでも医者になれないあかりこそが加害者であると本気で認識している可能性が高いということです。
実際にその根拠として、妙子はいつまでも医大に合格しないあかりに疲れて睡眠薬を大量に服薬して自殺未遂を図る場面があります。
そして病院で看護師にこのように話しています。
娘と2人で受験を頑張ってきたのに、娘が勉強嫌いだっていうようになって、学校でもアルバイト先でもトラブルを起こすようになって・・・。娘の経歴に傷がつくといけないと思って謝ったりして、握りつぶすようにしていたのに・・・・。
引用:母という呪縛 娘という牢獄 130ページより
このように話していること、そして自殺未遂のような行動をしたことから、妙子自身も悩み、苦しんでいたようです。
一緒に頑張っていたつもり、しかし娘は不正をして、トラブルを起こし、そういった一切の不祥事をもみ消すために謝ったり奔走している被害者なのだと主張するようです。
あかりは実際は罵倒や過度の叱責を恐れるあまり不正をするようになったという背景があるのですが、もはや妙子になぜ娘がそのような行動をしてしまうのか考える心境ではなかったようです。
この関係は共依存という関係に似ていると感じています。
「自分がいないと娘は何も出来ない、母親として私が娘の進路を決め、立派な医者にしなくてはならない。他の職業ではダメだ。私が娘の道を全て決めないと、娘は幸せにはなれない」
おそらく妙子の心境はこんな感じだったのかもしれません。だからこそ心を鬼にして叱り続ける母親という役割に実は完全に依存していたのかもしれませんね。
本来共依存とはそんな母親にまた依存する娘が存在するはずなのですが、あかりはあくまでも本気で妙子から逃げたいと考えていたので、正式には共依存というより、妙子による完全な子供依存が浸透してしたのかもしれません。
いずれにせよ妙子は強い加害者意識と子供に対する依存が深刻で、第三者や公共機関がそれに気付き全力で診療にあたれば、殺人事件も、教育虐待も起こらなかったのかもしれません。そして親子関係にもいずれ変化を起こせたのかもしれません。
もし医大に受かり、娘が医者になっていたら?
もしあかりが医者になることが出来たらどうなっていたか?を考えてみましょう。
妙子は何度受験しても試験に合格しない事に業を煮やし、あかりに看護学科に入ることで手を打とうとします。その条件に医者になれないなら助産師になれという条件を突きつけました。あかりは看護学科の試験に合格する成績ではあったため看護学科に合格し、滋賀医科大学にようやく入学します。
その間の2年間は普通の親子関係のようになったらしく、教育虐待も収まり穏やかになったようです。
後に二年生の終わりに助産師過程選抜試験に不合格になり、助産師にすらなれないあかりに対する教育虐待が再燃することになるのですが、少なくともそれまでは普通の親子になったようです。
では、もしそのままあかりが医者になれたら、そのままずっと普通の親子関係に戻り、あかりは幸せな一生を送れたのでしょうか?
私は決してそれは叶わない願いだと思います。
確かに、一時的に教育虐待のない普通の親子関係に戻れたとしても、母の妙子の過度の叱る依存と、子供に対する依存が解決出来たわけではなく、また何かをきっかけにその火種はくすぶり続けていたはずです。それがどこかのタイミングで再燃する可能性があります。
あかりが結婚するにあたり、相手が誰か、どんな学歴か、相手すら選ばせて貰えず、ここでも異常な執着や叱責が始まるかもしれないし、結婚したとしても娘の旦那に対する風当たりも強く、夫婦で辛い思いをするかもしれません。
あかりが出産しても、また孫を医者にするなどと言われたら、今度は夫婦とその子供も巻き込んで不幸の渦に飛び込むことになるかもしれません。
妙子のどんな望みや願いを叶えても、依存症という深刻な病を解決しない限り、娘という呪縛からは解放されない、私はそう考えています。
どうしたら虐待も依存も事件を防げていたのか?
それは第三者が素早く気付く情報網を持ち、素早く2人を引き離し、母には適切な診療を、娘は母から離れて本当の自分の人生を歩むこと。それは私たちも含めた社会という全てが関わる問題であったのかもしれません。
母は死んで当然だったのか?
最後にこの滋賀医科大学生母親殺人において母親についてどう考えるべきでしょうか?
この事件をきっかけに被害者である娘が受けた虐待の惨状を知った方も多いと思います。
「信じられない毒親。死んで当然!」
きっとそんな声や書き込みをする人もいることでしょう。
確かに母親のした教育虐待は、ずっと娘の心と人生を傷つけた深刻な行為であり、それを許せることではありません。
この事件の最大の被害者は娘でした。
しかし母親もまた依存という病に取り憑かれた1人の被害者なのです。
「<叱る依存>が止まらない」の本には、厳罰化や処罰感情の充足を満たしても、決して根本的な問題の解決にはならないと記されています。
それと同じように、この母親が死んで当然なのか、生きられても厳罰を与えるべきなのか、私たちが考えるべき問題はそこではないのです。
この問題を知り、どうやってこの事件を防げたか、虐待や依存について私たちは知り、それをどうやって防いでいくかを全力で考えていかなければ、社会に蔓延する不幸の種は取り除けないのです。
虐待、依存、学歴信仰。様々な社会の問題がこの事件には詰まっている。そして我々は今日もどこかで起きるこの悲劇に対して1人でも多く救わなければならない。それが本当に私たちに突きつけられた課題なのでしょう。
もうこんな悲劇を繰り返してはならない。まずはこの事件をきっかけに、もう一度自分や、近隣の親子関係、本当に大丈夫か、周りの人は大丈夫なのか見渡してみませんか?
最後までお読みくださりありがとうございました。
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