コンビニ人間の感想と考察(ネタバレあり)。気持ち悪いと言われる理由は何だったのか?

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コンビニ人間が伝えたかったことは何だったのか?

今回は村田沙耶香さんのコンビニ人間という小説を読んでみました。この小説は2016年に芥川賞を受賞し、世界中で出版され海外でも評価された作品です。

クレイジー沙耶香と呼ばれ、「普通」という常識を根本からぶっ壊す作品でもある「コンビニ人間」。私も小説でこれほどの衝撃を受けた作品は存在しません。

「普通って何だっけ?主人公と周りの人たち、どっちが普通なんだろう?」

そんな事を思わずにはいられませんでした。今回はそんなコンビニ人間から様々な考察をしてみたいと思います。

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コンビニ人間はバッドエンドか?ハッピーエンドか?理解できないという意見も

まずこの小説を読んで、そして多くの読者の感想やレビューを見ていて、これほどバッドエンドと感じる人とハッピーエンドと感じる人が別れるというのは衝撃的でした。まずバッドエンドと感じる人は多くは結局は主人公の古倉恵子(以下恵子)がコンビニでしか生きられないという状態を何も解決できないということにあるでしょう。

彼女は決して変化して「普通」という世界に生きることは出来ずに、アルバイトのコンビニ店員という生き方を選ぶということに違和感を持ったのだと思います。

「普通」という世界に生きる一般の人たちにとって、普通に生きられない恵子は治療や更生の対象であり、「異常」な状態でその場所に合うところだけで生きていく、というのが果たして本当に彼女の幸せなのか?そして正しいのだろうかと考えたくなるでしょう。

ラストで恵子自身が言っていたとおり、恵子は「コンビニ店員」という動物であり、自分らしさとか、他人から見た人としての幸福というのを一切望んでいません。

自分の存在意義は全てコンビニというもののために存在している。まさに獣、という感じで人としての恵子が救われることはない、気持ち悪い。主人公の気持ちを理解できない。それをバッドエンドと感じるのでしょう。

一方でハッピーエンドと感じる人は、恵子が唯一生きられる道を見つけられることが出来て幸福ではないかとする意見もあります。難しいところですが、この小説は「普通」や「多様性」をどのように捉えるかによっても結末は変わるのではないかと思います。

主人公はアスペルガーなのか?

コンビニ人間の主人公、恵子はアスペルガーなのではないか?という意見が散見されています。彼女は小さい頃から空気を読むことが出来ずに奇怪な行動を取って周りを困惑させています。

・飼われていたであろう小鳥が死んでいるのを見てみんなが悲しんでいるのに、「これ焼き鳥にして食べよう」などと発言。
・男の子同士の喧嘩を止めるためにスコップを持ち出してぶん殴る。
・女性教師のヒステリーをやめさせるためにパンツとスカートを下ろす。

「止めて!」という言葉を額面通りに受け取って通常とは違う方法を取ったり、周りの空気に合わせるということが出来ません。

このような行動からアスペルガーなのではないか?という意見が出るのは当然ですし、アスペルガーの症状ととても似ています。この小説では実際に恵子が何かしらの障がいを持っているかは言及されていませんが、少し他の人たちと違っているのは確かです。

ですが、私はアスペルガーではないのではないかと思っています。というのも、私もコンビニでのアルバイト経験を2年半ほどしていた経験がありますが、その中にフリーターでアスペルガーではないかと思われるおじさんが働いていました。

ですが、実際にはマニュアルやその場のTPOに合わせた行動なんて全然出来ていなくて

・レジに立っていても指しゃぶりをする。
・レンジでチンしたお弁当を普通に投げてひっくり返し、それを何食わぬ顔で袋に入れる(当然クレーム)
・クレームが入ると自分が悪いにも関わらず誰かを呼び出しお客の前でその人が悪いと主張する。

など、到底考えられない行動をし、従業員やお客さんから恨まれていました。恵子とそのコンビニおじさん、どちらが「正しい」アスペルガーなのかは分かりませんが、少なくともアスペルガーの人は接客のようなコンビニ作業は難しく、マニュアル通りに演じられる恵子の特徴はまた違ったものだと感じています。

白羽というクズはなぜこの物語に必要だったのか?

この物語に白羽(しらは)という人物が登場します。恵子の働いているコンビニにアルバイトで入りますが、仕事もろくに覚えようともせず、自分勝手な行動を繰り返し、あっさりとコンビニをクビになってしまいます。

そして恵子の家に転がり込み、恵子に寄生し、散々社会や恵子に対し悪態をつくというとんでもないクズぶりです。ラストでは彼は恵子にも「全く必要ない」と見放されてどこかへ消えていきますが、白羽という人間はこの物語のどういった存在だったのでしょうか?

一言で言えば彼は恵子が許容される「多様性」なのに対し、全く社会から許容できない「多様性」という対比的な存在だと考えています。つまり他人や社会にとって有害か、無害かということです。そして他人にとって有害な人間はどこにも生きる場所がないという象徴でもあるのです。

恵子はマニュアルのない世界では上手に生きていくことは出来ません。しかし、コンビニ店員としての世界ではちゃんと部品の一部になることが出来て、誰にも迷惑を掛けずに生きることが出来ます。

一方の白羽はアルバイトでも部品の一部になることも出来ず、むしろ害悪な存在でしかありません。自分の正しさだけを主張し、相手を不快にさせ、危害すら加える存在でしかありません。彼が最後まで救われなかったのは、他人にとって有害な多様性は残念ながら生きる道はないことの証明なのかもしれません。

反社会性パーソナリティ、サイコパスなどの名前を彼にはつけられるのかもしれませんが、残念ながらそういった人たちを救済すべき手立てはこの社会には存在しない、排除するしかない。そんなメッセージが彼の存在にはあるのではないでしょうか?

コンビニという檻の中の幸福

結局この恵子という存在は何だったのかと私なりに考えると。

「金魚鉢の中の金魚」
「檻の中のライオン」

こんな表現がピッタリなのかなと思います。その狭い空間でしか生きることが出来ず、それを可哀想だと後ろ指を指す人もいるでしょう。

「魚はもっと川や海で泳ぐべきだ」
「あんなに狭い檻の中で見世物にされて可哀想」

しかしそれを可哀想と感じるのかは、他人が決めることではありません。もし金魚が小さな金魚鉢の中で幸福に生きることが出来ているのであれば、毎日エサがあり、多くの人に見て貰うことにライオンが幸福を感じているのであれば、そういった言葉は余計なお世話でしかないわけです。

たとえ広い川で優雅に泳ぐことが出来なくても、サバンナで百獣の王として君臨することが出来なくても、それはそれで1つの生き方であり、1つのカタチなのではないかなと思うのです。

恵子もまた、そんな小さなコンビニという檻の中でしか生きることが出来ない動物の一人なのかもしれません。彼女はコンビニというマニュアルが完璧に揃っている世界であれば、誰の迷惑にもならず、優秀な店員として機能することが出来ます。彼女は彼女なりに、自分だけのオアシスを見つけそこで生きていく。私はそれで良いと思うのです。

無理に自分を「普通」の型にあてはめて結婚して、就職して、それで彼女は幸せにはなれなかったでしょう。そして、多くの人が実は「普通」に無理に当てはめて失敗する人は実は山のようにいることでしょう。

結婚するのが当たり前だと周りに言われて結婚して、結果不幸になり、離婚した。正社員が安定だと周りに言われ、好きでもない仕事を無理に続け鬱病になった。そんな話は山のようにあります。

例え周りから何と言われようが、どれだけ後ろ指を指されようが、誰にも迷惑掛けずに幸福を感じられる道を生きる。それこそが真の多様性なのではないでしょうか?

派遣社員が家族を持ってはダメですか?

近年多様性という言葉が多くなり、多くの人の選んだ生き方や人生を認めてあげようという考え方が広まっているように見えます。そして多様性が認められれば認められるほど、「普通」というパイは大きくなるはずですよね?ところが、普通という範囲はどんどん狭くなり、「普通じゃない」範囲はどんどん広がっているように感じるのです。

LGBTのような性の多様性や派遣やバイトのような雇用形態の多様化、結婚しているか、独身か。こうしたものの全てが多様性ですが。実は多様化しているようでこうした言葉はどんどん差別用語として使われているように感じています。

例えば私は派遣社員です。一応派遣会社の正社員だけど、派遣先から見たら「たかが」派遣社員でしかないわけです。そんな私を見て少なからずこのように言われたことはあります。

「家族いるのになんで派遣やっているの?」
「その歳で派遣なんて親が泣くよ」

正社員でも派遣社員ではダメですか?派遣社員が家族を持ってはダメですか?と常にそう思います。皆さんも経験があるのではないでしょうか?どんなに仕事が出来ても、会社に貢献しても派遣というだけで見下され、切り捨てられる。一方会社に害悪にしかならないようなダメなヤツでも社員というだけで守られる。

私からすると正社員だって年功序列や終身雇用という制度が根本から揺らいでいる以上、正社員が安定だと思う方が不思議なくらいです。

もっとも私も派遣社員であることに満足しているわけではありませんから、「自分の力でお金を稼げるようになろう」とWebデザイナーを目指したり、ブロガーを目指した経験があるのですが、そういった考えを実行に移すと。

「どこかで正社員になった方が良くない?」
「そんな事するならバイトした方が良くない?」

などと言われます。どうやらこういった考え方はマイノリティで、多くの人からは「普通じゃない」と思われているようです。

全ての人に恵子の要素がある

同性愛者、トランスジェンダー、移民、発達障害、社会不適合者、フリーター、派遣、処女、童貞。多様性を謳っているようでどこか差別的な言葉はこの世にたくさん転がっています。こうした言葉が「普通以外」の人間を広めていき実は「普通以外」を取り残す社会になっているのかもしれません。

しかし、私は普通なんてものがどこに存在しているのかと思います。いや、普通は存在していても、それが必ずしも「正解」とは限らない。

私は人間誰しも普通ではない「異常性」を隠して生きているのだと思います。考え方、性癖、行動など、本当は異常だと感じていても、うまく「普通」を装って生きている。そしてコンビニ人間の話が共感を得ているのも、小さな小さな恵子のような社会不適合性を私たち一人一人が隠しているのではないのでしょうか?

全てを普通にあてはめて人間は果たして幸せになるのでしょうか?普通ではなくても自分なりの幸せを感じるところで生きていく、普通にあてはまらない部分があってこそ、実はあなたらしさでありあなたの幸福があるのではないでしょうか?

最後までお読みくださりありがとうございました。

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