絵本、わすれていいからのあらすじ
初めて猫である「おれ」がこの家に来たとき、生まれたばかりの「おまえ」がいた。
「おれ」はどんどん大きくなり、「おまえ」はゆっくり大きくなった。
「おまえ」は小学生にあがり、どんどん家にいないことがおおくなっていく。
嬉しいときも、悲しいときも、「おれ」は「おまえ」の傍にいる。
「おまえ」はすっかり大きくなって・・・
そういえば、「おまえ」、最近いないな。
ああ、そうか、おまえあたらしいなわばりをみつけたんだな。
今までありがとう。「おれ」のことはわすれていいから
誰も死なないのに、「死」について考える絵本?
「わすれていいから」は2024年に出版された割と新しい絵本です。
「第15回リブロ絵本大賞」入賞、第5回TSUTAYAえほん大賞第4位を獲得し、重版が決定するなどの人気を博しています。
呼んだ方の多くが
「猫なりの送り出す精一杯のエール」
「旅立ちを応援する絵本」
という感想を持っていて、表紙のカバーにも
「すべての旅立ちを応援する、ある少年と猫の物語」
という題材が書かれています。
確かにその少年である「おまえ」が自立していき、猫である「おれ」がそれを応援する、そんな絵本の一面もあると思います。
ですが、私はこの絵本は「誰も死なないけど、死について考える本」だとも思うのです。
というのも、もしあなたは独立していく子供にどんな声を掛けるでしょうか?
「いつでも戻ってきて良いからね」
「いつでもここがあなたの家だからね」
きっとそんな言葉を贈るんじゃないでしょうか?
「忘れていいから」
というのはいささか大げさ過ぎると思うのです。
逆に自分がもしもこの世を去るとき、あなたは自分の子供にどんな言葉を掛けますか?もしあなたの子供が自分の死を悼み、泣いていたらどうでしょう?
「自分の事なんか忘れて良いから、笑顔でいて欲しい」
「悲しむことよりも、幸せに生きて欲しい」
この絵本の「忘れていいから」は、このメッセージに近いものがあるのかなと感じます。
猫は少年が小さい頃から一緒にいて、大きくなって自立し家を出て行く、つまり数十年の日々が経っている、そして少年がどんどん成長していくのに対し、「おれ」は少し小さくなったと絵本の中で話しています。つまり、読者から見ても猫が年をとっていくことが想像できるのです。
この物語はこれから輝く人生を送る「おまえ」に対してこれから死にゆく「おれ」の別れの話なのかもしれない。作者さんの本当の意図は分かりません。しかし私の考察の意図は、この死をうっすらと感じさせる。だからこの本はどこか泣けるのかもしれません。
人間と猫という生物の成長速度の違い、そして生物としてのライフスタイルの変化。人間の兄弟だったなら成長も変化も共に共有できるけれども、決してそれは出来ない定めなのかもしれません。
でも、共に育った日も、楽しかったことも、悲しかったことも、決して嘘じゃない。だからこそ最後に精一杯出した「おれ」の精一杯の愛情の言葉なのだと思います。
そんな猫の気持ちを是非想像してみてください。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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