教育から暴力を無くしたいという使命
私の大きな目標と使命の大きな1つとして、昭和の古き、悪しき教育制度を完全に撤廃させたいという望みがあります。
昭和では当たり前だった体罰や叱責による子供や児童による指導。子供達を脅して、暴力により抑え込まされる教育をなくし、子供の自由や人間らしさを尊重する時代へと大きく舵を切りたい。
体罰や統制する大人都合の教師や大人を無くし、個性と能力を尊重する世の中を創る。今はそういう時代の転換期であり、私もブログで自分の考えを発信することで、そして自分も親としてそれを実践することでそんな世の中を創れると証明したいのです。
なぜそう強く願うのかと言うと、それは私自身の学校での経験によるものです。
私自身も小学校低学年の頃から、学校で体罰や暴力を受けました。
体罰や暴力を受けていた過去
私は小学1年生の時から、あまり出来の良い子供ではありませんでした。
プリントを配るのも遅いし、既に引き算辺りで算数の授業は詰まり気味で、とにかく言われたとおりには上手く出来ずに、頭の回転も遅かったです。
そんな私に担任の教師は、叩いたり、給食を残しただけで詰問したり、算数の問題が解けないとみんな次の体育の授業に行くため並んでいるのに、私1人だけ解けないため無理矢理残され、みんなを待たせる羽目になりました。
本当に怖くて、おしっこ漏らしたこともありました。
私はいつも泣いていたし、その経験が自分の自己肯定感や自信を打ち砕く、幼少期の強いトラウマになりました。
親や親戚にそれを言っても
「昔はみんなそうだった」
と返されて終わりでした。こんなに傷つき、自信を無くし、ショックを受けるのが当然の事なのかと大人達に失望した日もありました。
なんとか小学3年生でその暴力教師とは離れることが出来ましたが、また小学3年生の時に酷い暴力教師が担任となり、今度は私だけではなく、クラス全体が怯える日々を過ごすことになりました。
その担任は小学3年の途中くらいに急遽辞めることになったのですが、今考えると、やっぱり体罰などが問題となり、辞めさせられたのでしょうね。
とまあ、私は昭和の終わりに生まれて、学校に入る頃には平成だったのですが、それでもこのような体罰や暴力が横行する教師はそこら中にゴロゴロいたわけで、私も含め当時の多くの子供達がそういう体罰を受けていたわけです。
自分が間違っているのではない。教育方針自体が間違っている
「昔はみなそうだった」
この言葉を聞いて、私1人がおかしいのか、私だけが間違っているのか?と思うときもありましたが、今はハッキリと言えます。
私のこの考えがおかしいのではなく、世間にはびこっている暴力や体罰ありきの教育自体がおかしいんだ!
現に昔のこの教育方法は徐々に淘汰され、令和では新しい教育論や教育法が確立され、暴力や体罰などの規制は強まっています。
そもそも昭和の教育というのは大人が一方的に子供を押さえつける教育であり、都合が悪いと暴力を振るうことでその問題を解決する、そんな時代でした。それって本当に教育と言えるのでしょうか?
まずなぜ教師が暴力を振るうことが昭和には容認されていたかと言うと、その方が教師達にとって都合が良かったからでしょう。
教師もサラリーマンですから、子供達を自由にして問題を起こされるのは嫌なわけです。保護者や教育委員会などに何かあって問題にされるのが嫌なわけなんで、子供達には大人の都合の良いように動いて欲しいわけです。
なので生徒を暴力や恐怖で抑え付け、粛正しておくのが当時の教師の仕事なわけで、個性や能力の発揮なんてどうでも良いのです。
これは教育というより、統制に近いです。
日本の教育は第二次世界大戦の時からあまり大きく変わっていないのです。
上官に逆らったり、ミスをするだけで過剰な暴力が容認されていました。いや、そうでなくても身体が小さい。出身地だけで暴力を振るわれた、という話まで聞いたことがありますから、理不尽極まりないですね。
しかし、そんな理不尽な教育方法などは大きく変わっておらず、戦時中からこの辺の反省点は全く活かされてない、というか、全く反省していないわけです。
暴力に愛は存在しない
しかし、中には「昔は鉄拳制裁があったが、そこには愛情があった」という意見があります。
私からするとハッキリ言って愚かな考え方だと思います。全くそんなの関係無いわけです。
それって愛があれば何でもまかり通ってしまうということに他ならないじゃないですか?
躾だった、子供に必要だったと言って暴力や虐待を受けて亡くなってしまった子供はたくさんニュースで見てきました。それが愛情だと言うのであれば、犯罪もまかり通ってしまうのです。
暴力に愛なんて存在しません。暴力は暴力でしかありません。
人は口と伝え方で理解できるし、いくらでも能力を発揮できます。それは子供だって例外では無いのです。
昔、戦国時代に北条氏綱という武将がいました。「勝って兜の緒を締めよ」という名言で有名な人ですが、こんな言葉を残しています。
「侍から農民にいたるまで、全てを慈しめ。捨てるような人など存在しない。使えないところは使えば良いし、使えないところは使わなければ良い。使えぬところを使うのは大将の過ちである」
要は人が能力を発揮できるのは、上の人次第だということです。
それと同じように、教師のやり方次第で、生徒のやる気や能力は上がっていきます。それを引き出せずにどうして教師と呼べましょうか。
あなたは間違っていない
私と同じように、過去の学校や親の教育によりトラウマになったり、今も苦しんでいる方がいるかもしれません。
その理不尽や怒りは決して間違ってはいません。だからその思いを忘れずに、自分の子供や次の世代の子供達にはそんな思いは絶対にさせないでください。
私たちは、子供達にそんな思いをさせなくても子供達を立派に育てることは出来ます。
親都合のくだらない暴力ではなく、1人の人間として徹底的に向き合って、子供達の能力を発揮していきましょう。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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