
戸塚宏の名言「体罰は善なんよ」に共感する体罰肯定派が多い理由に迫る
今回はかつて5人の子供達の体罰による死者、行方不明者を出した最悪のヨットスクール「戸塚ヨットスクール」について見てみたいと思います。このスクールではスパルタ式の厳しい訓練が行われ、その内容は過酷な体罰も行われ、それにより死者を5人も出しました。
最終的に戸塚宏校長を含むコーチら計15人が傷害致死、暴行、強要などの罪に問われました。最終的に、戸塚校長には懲役6年の実刑判決が下され、最高裁で確定しました。しかしながら、戸塚校長は出所後も戸塚ヨットスクールは閉校せずに存続し、現在に至っています。
さらには近年、令和ヨットスクールと称し、YouTubeにも頻繁に登場しているようです。
彼の持論は「体罰は善、体罰はされる方の利益」という現代とは逆行する考えを突き進んでいます。個人的に死者まで出すような体罰を行っていた人間が体罰の正当性を訴えている時点でかなり身の毛もよだつような話ですが、驚くことに彼に共感する人が一定数います。
私は自身の経験からも体罰完全否定派ですし、体罰を禁止する時代の中でこのような考えに支持する人がいるのを意外と感じています。なぜ彼の意見は今支持されていて、戸塚ヨットスクールはなぜ事件が起きたのか、そこには日本の闇が見え隠れしています。
戸塚ヨットスクールの概要。スクールでは何があったのか
こちらの動画も参考になります。
戸塚ヨットスクールは1976年に開校した当初は一般の子どもを対象としたヨットスクールでした。子どもたちにヨットの楽しさを教え、オリンピックで通用するような一流のヨットマンを育てることが主な目的だったようです。
いつスパルタ式の訓練へと変化したのかというと、きっかけはある登校拒否の子どもが短期間の訓練で登校拒否を克服したことでした。その事が噂や新聞になり、戸塚ヨットスクールに入校させたいという親が急増したといいます。
当時戸塚ヨットスクールが開校した頃は青少年の非行や引きこもりが深刻な社会問題となっていました。家庭内暴力や校内暴力。それは過去類をみないほどの深刻さだったといいます。
手に負えないほどの凶悪な子供達が増えていく中で、戸塚ヨットスクールはいわゆる「駆け込み寺」として機能するようになりました。そのような青少年が増えていく中で、戸塚宏校長は「厳しい訓練や体罰によってしか、更生させることはできない」と考えるようになりました。その後過度な暴力によって死亡した子供が続出しました。
時系列
13歳の少年が訓練中に腹痛を訴えるも、医師の診断を受けさせずに訓練を継続させられ死亡。病死として不起訴になる。
21歳の青年がコーチに殴打や足蹴りなどの暴行を受け死亡する
15歳の高校生2人が奄美大島の夏合宿から帰る途中行方不明となる。2人は訓練から逃れるためにフェリーから海に飛び込み行方不明になったとされる。(海から投げ入れるという行為が日常茶飯事だったスクール側が、2人を投げたという疑いもある)
13歳の少年が竹刀などで殴られて死亡。この事件がきっかけで戸塚校長と12人のコーチが傷害致死や監禁致死の容疑で逮捕される。
最終的には戸塚校長には懲役6年の実刑判決、その他コーチも有罪が下されました。その後戸塚校長が出所しますが、戸塚ヨットスクールでの不審な死は絶えません。
25歳の訓練生男性がスクールからいなくなり、数日後に知多湾で水死体となって発見。警察は自殺と事故の両面で捜査を行う。
入所3日目の18歳の女性訓練生が、寮の3階から飛び降りて死亡、愛知県警は自殺とみて捜査を行う。
男性訓練生が寮の3階から飛び降りて重傷を負う。愛知県警は自殺未遂とみて捜査を行う。
男性訓練生の飛び降り死亡。男性訓練生が寮の3階から飛び降りて死亡。愛知県警は自殺とみて捜査を行う。
戸塚校長の現在。ABEMAやYouTubeに頻繁に登場
2024年に戸塚校長は自身のYouTubeチャンネルを開設し、体罰を肯定する持論や教育論を展開し、ABEMAなどにもゲスト出演し、賛否両論を呼んでいます。
またABEMAなど他番組にも出演し、他の共演者と激論を繰り広げる展開となっています。
なぜ戸塚校長は一定の支持を集めているのか?
こうしてメディアの露出が増えた戸塚校長ですが、現代において体罰は否定されている世の中において、さらに過去の死亡事故などの結果論から多くの批判が殺到しています。その一方で、体罰肯定論に対する一定の支持があるのも事実です。
なぜ今彼に賛同する者が増えているのでしょうか?それは一言で言ってしまえば、誰も出来なかった実績を上げてしまった。その需要が大きかったということでしょう。
昭和に不良や非行が家庭や高校で深刻化した

80年代は今では想像がつかないほどの非行少年や未成年による犯罪、引きこもりなどが深刻化していました。彼らに対する更生の仕方や立ち直る手段を大人達は持ち合わせておらず、家庭も国も困り果てていたのが現実です。
そんな中、不登校の子どもを学校に行かせた、更生させたという戸塚ヨットスクールはいわゆる「ここだけが更生できる場である」という駆け込み寺として機能してしまったことが大きいでしょう。このように最後の荒療治の場として祈るような思いで子どもを預けた親たちが多いということです。
暴力で暴力を制し、不動の支持を得たダバオ・デス・スクワッドとの共通点

この皮肉な需要はかつてフィリピンで起きたDDB(ダバオ・デス・スクワッド)とも似ています。
かつてドゥテルテが市長だったダバオは犯罪が多い年でしたが、そういった犯罪を粛正するために犯罪者や麻薬密売人などとにかく「犯罪に加担した疑いのある人間」を裁判なしで殺害したとされています。まさに「怪しければ殺せ」の名の下に実際は犯罪に加担していない人間も殺害されたと言われています。
しかしながらそんな過激な方法のおかげか、犯罪者は激減しダバオは「フィリピンで最も安全な都市」と言われるようになりました。暴力をもって暴力を制し、誰もなし得なかったダバオの治安回復を成し遂げてしまったわけですね。そんな実績が評価され、ドゥテルテは一定の支持を集め、大統領にまで登り詰めました。
しかしながら実際にはストリートチルドレンや無実の人間も多く殺害されているという歪んだ事実があること、そして犯罪の根本にある問題(貧困、教育、医療)などの問題が解決されておらず、表面的な治安回復にしかなっていないとされています。
同じように戸塚ヨットスクールは果たして死者を出すという犠牲者を出してまで根本的な子ども達の問題の解決になったのだろうか?と疑問に思わずにはいられません。
親に言われて無理矢理戸塚ヨットスクールに入れられた。
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酷い目に遭ってさらに心に深い傷を残した。
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また親に入れられるのが嫌で、仕方なく学校へ行った、騒ぎを起こすのを止めた。
これも更生したという表面的な実績にはなってしまいますからね。ある意味親や社会の需要には応えたが、根本にある子どもの傷や家庭の問題には触れていないという点が問題が大きいと感じます。
なぜ戸塚ヨットスクールは閉校しないのか
そして最も闇深く、戸塚ヨットスクールが廃校せずに存続している要員となっているのが、「子どもを殺して欲しい」と口にする親たちの多さです。
このような発言をして子どもを預ける親が多く、実際に多くの逮捕者が出たにも関わらず、むしろ子どもを預ける親が増えたと証言しています。
真偽がどの程度のものなのか、そして「子どもを殺して欲しい」というのはどこまで本気なのかは分かりません。しかしながら、子どもを殺して欲しいと頼むほど家庭が追い詰められている例は現代でもあるのが実情です。
押川剛さんの漫画、「子供を殺してくださいという親たち」という実際の体験の話からもその実態を知ることが出来ます。
精神疾患や引きこもりへの対処法を知らずに放置してしまうというケースが後を絶たないようです。この漫画を通して見てみると、子どもの問題は「家庭」での問題をそのまま反映しており、子どもの問題を解決するには家庭の問題を解決することが重要だと分かります。
しかし、実際は家庭の問題を把握できない、もしくは家庭の「恥部」を公に出したくない家族が問題を閉じ込めてしまい、子どもだけを問題の中心として排斥しようとしているという闇深さを感じます。そういった「闇深い」家族の需要が戸塚ヨットスクールなのではないでしょうか?
体罰は有効?それでも体罰がダメな理由と体罰否定派の理由
私はこれまで戸塚宏校長のYouTubeをずっと見たり、スクールの概要を見てきましたが、結局「体罰が善」という話を聞いてきましたが、私が体罰否定派という意見は何も変わりません。
体罰が有効であるという科学的根拠が何も無い
戸塚宏校長は「教育は科学であり再現性がなくてはイカン」。と言いますが、その体罰が有効であるという科学的根拠が何も示されていないんですよね。むしろ体罰を受けた子ども達が問題を起こすという研究結果の方が科学的根拠として山ほど説明されています。
特に科学者でもなければ教育者でもない人がこのような持論を持つのは疑問です。彼曰く「哲学者や専門家は口ばかりで実践したこともないから信用できない」と言いますが、科学的とは自分の経験だけで実証したものを再現性、科学的というのでしょうか?
実際に脳幹論というのも全く科学には基づいていないんですよね。理性的な思考や、社会的行動は前頭前野で処理されるので、脳幹は全く関係ありません。科学的なデータを全く示されていない実践論だけなので信用できません。
リベラル教育が悪いという根拠も分からない
「リベラル教育が非行少年を増やした」という理屈も科学的には全く基づいていません。そもそもリベラルは子どもの主体性・対話・内発的動機づけを重視する教育思想であり、「甘やかす」や「放任する」とは本質的に異なります。
確かに日本はリベラル教育の質自体は他の国と比べてまだまだ劣っています。しかしリベラル教育を実践しているフィンランドやデンマークでは引きこもりや非行は少ない傾向であることが証明されています。リベラル教育を実践している国々では、学力だけでなく社会性・幸福感・格差是正といった面でも高い成果を上げているケースが多く見られます。
日本の80年代は基本的に体罰教育とリベラル教育の狭間にあった時代です。どちらかと言えば体罰教育の方が強くあったのではないでしょうか?そして極端な偏差値や高学歴信仰が「落ちこぼれ」を作り、大量の落ちこぼれに対する人格否定こそが非行少年を作ったのではないでしょうか?
戸塚校長は「8050問題はリベラル教育が引き起こしたものだ!」としていますが、逆です。過度な学校や職場での体罰によって精神を病んだ若者達が引きこもりやニートを増加させる原因になっているのです。
逆に体罰によって生き残った人間達は「体罰があったから今の自分があった」という生存者バイアスに陥り、「今の若者は!」という言葉を発しますが、体罰時代に体罰によって脱落した人がたくさんいるという事実を塞いでしまっているのです。
この辺はこの書籍からも知ることが出来ます。
などなどいろいろな反論はありますが、そもそも体罰だけが子どもを良い方向に導く方法なのか、まずは私たち自身がそこから考えていかなければなりません。
本当に闇深いのは家族という隠れた存在

ワンピースでこんな言葉を放った人がいました。
我らはまず・・・内側と戦うべきだった!!いびつな”怨念”に見て見ぬフリをし!! 表面ばかりを整えて 前進した気になっていた!!
魚人島編 フカボシのことばより
そして「子供を殺してくださいという親たち」で押川剛さんはこのように言っています。
「子供が死んでくれたら・・子供が事故に遭ってくれたら」
「子どもを殺してくださいという親たち」 第1巻 1話
これらはすべて俺のところへ相談にやってきた親たちの言葉だ。しかしそんな親たちはいまの自分たちの姿こそが長年の積み重ねの結果であることを忘れている。表面的な事象にとらわれぬくもりや人間味に欠けた育て方をすれば問題行動として必ず跳ね返ってくる。それは子どもたちの心の叫びだ。親たちへの復讐だ。
結局私たちは問題が家庭にあることを見て見ぬふりをし、家族というものを取り繕った結果、家庭から非行や犯罪者を多く出してしまったという結果にほかなりません。
親たちこそが子ども達の問題と真剣に向き合い、本気で対話し解決するべきだった。そして福祉や医療、そして本人と本気で向き合っていくべきだったのです。しかし社会も家族の問題は「内側の問題」と切り捨てて、福祉や精神医療もまともな解決方法を提示しなかった。
こうして外側と内側からの杜撰な対応に最後は戸塚ヨットスクールという殺処分の場に子供を切り捨てに行き、まんまとその需要に戸塚ヨットスクールが応えてあげた。実際はこれが正しい構図なのではないでしょうか?
本当に悪いのは向き合うことから逃げた「家族」であり、その闇深さが戸塚ヨットスクールという存在を作り上げたのではないでしょうか?
社会全体が「家族の問題」というものを軽く見た結果なのだと思います。少子高齢化に伴って国は簡単に結婚や子作りを美化し、正当化してゆく。そうして安易に家族を作るが、他人同士が住む家というのは多くの問題が生じる可能性を秘めていて、子ども達は大人達の問題からは逃げることが出来ない。
家族というのは表面上は綺麗ですが、とても闇深い存在でもあるのです。私たちが考える問題は本当に家族の闇深さと向き合い、乗り越えていく覚悟があるかという事に掛かっているのではないかと考えています。
そして家族が問題を抱えたときに福祉や精神医療が本気で手を差し伸べる体制を整えていくことこそ重要なのではないかと考えています。間違っても戸塚ヨットスクールに子どもを預けるという悪手に安易に手を出さないで欲しいと改めて思います。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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