心配という名のネガティブワード

目次

心配は口には出さない

私も父親となって早3年と2ヶ月が過ぎようとしています。生まれてからは何も出来なかった娘がこの3年でハイハイをし、そこから歩き出し、自分で飲み物を飲み、滑り台を滑る。少しずつですが一人で何かを出来るようになっていく娘の変化に驚きと感動の毎日を送っています。

その一方で、まだまだ何をするか分からない部分も多々あります。まだ危険察知能力や経験が少ない分、火元に十分注意しなければならないし、外に一人で出歩かせるにはまだまだ不安の多い年頃です。ですが、あと5年もすれば一人で友達を作り、周りとコミュニケーションをとり、私の知らない学校や習い事という社会で自分を形成する。そして外に出て私の目を離れて遊ぶ時期も来る。

今でこそ親がいなければならない時期だからこそ不安や危険を私たち次第で回避できます。しかし、一人でいろいろな事を出来るようになる将来にこそ私たちの目から離れる瞬間も増え、子供に対する心配は増えていきます。

「そんな遠くの公園まで行くの?大丈夫?」
「学校でちゃんとやってる?イジメはない?」

きっといろんな心配をしたくなるでしょう。ですが私は心配という言葉や不安を子供に口には出さないと決めています。なぜなら、心配を多く口にすることで子供の自己肯定感や未来に悪い影響を与えるからです。

心配という言葉で自信を失った過去

実は私自身「心配」という言葉を親が頻繁に口にしていました。ですが私は昔からこの親の心配というものがとても好きではありませんでした。心配という言葉を口にされる度に自分の選択や行動に自信が持てなくなっていたのです。

「この子は将来ちゃんとした学校に行けるか心配」
「一人暮らしちゃんとできるか心配」

まあ、私は小学生からゲーム三昧で勉強もろくにしなかったし、イジメや高校中退もしているような子供だったので不安に思うのも至極当然だと思っています。ですが、やはり自分で決めたことに心配を口にされるとやはり自分も不安になってしまいます。

私はずっとこのモヤモヤが取れずに、教育に関して勉強したり、こうしてブログを書いているうちに、この親の心配というものが子供にとってどんな影響を与えるのか知りたくなり、同じような経験をした人がどのように感じ、結果どのように感じるのか調べ、結論を出しました。

その結果は心配という声かけは子供に良い影響は与えないということでした。

心配は誰のため?

まず心配の正体は何か、と言えば、まだ起きていない未来の事象に対して不安を感じることですよね。

例えば子供がちょっとその子にはレベルが高い高校に行きたいと言い、それを心配した親はこう言うでしょう。

「ちょっとあなたにはレベルが高いんじゃない?落ちたらあなたが落ち込んで勉強したくなくならないか不安だわ・・。それに受かったところでずっとそのレベルの高い子達と勉強していけるの?ついていけなくてイジメに遭ったらどうしよう・・それに部活もやるなんて、それだと勉強時間も減って・・・云々かんぬん」

ちょっと飛躍してるかもしれませんが、少なからずこのように思い、あれこれと心配を巡らせ、そして口にしてしまう親も多いでしょう。しかし、当の子供にはこの言葉はどのように受け止めるでしょうか?

「おまえにはそのレベルの高校には行けない」
「落ちたらおまえは立ち直れない」
「受かってもお前は周りについて行けない、友達も出来ない」
「部活なんてやったらもっと勉強についていけない」

「そんなつもりじゃ・・」と思うかもしれませんが、子供はせっかく思い切ってちょっと難しい高校に挑戦してみようと思い切ったのかもしれません。しかしこのような心配は相手からすると抽象的な否定にしか過ぎません。これによってまだ起こっていない未来を子供も想像してだんだんその挑戦に対して不安になっていきます。

そもそもそんな未来が起こり得るのかというと基本的には希だと思います。まず高校に落ちたくらいで人生に影響はありません。そして他に入れる高校はいっぱいあります。受かればその挑戦を称えてあげれば良いし、落ちてもやり直しは無限にききます。

勉強についていけないからって周囲と孤立することもありません。仮にイジメにあっても転校することは出来ますし、勉強についていけなかろうが、部活と両立を頑張ろうが、子供は自分で活路を開きますし、新たな道も自分で開拓していけます。親がいちいち心配するほどのことは起きないのです。

要は心配というのは子供の起きていない未来を心配するのではなく、自分が安心したいのだという心理に過ぎません。心配を過度に口にされると自分の行動を否定されるだけではなく、ネガティブイメージを植え付け、子供のパフォーマンスを下げ、そして自己肯定感を下げます。

以前私も記事で書きましたが、ネガティブなイメージを持つというのは悪いことではありません。悪いことを想像し、それに向かって対処法が考えられるからです。しかし、そのイメージを相手に向けると良いことは何もありません。

子供も1人の人間であり、自分の考えを持っています。確かに生まれたときは何も出来ず、ご飯も食べさせオムツの世話をしないといけなかった時代があります。でも気付けば1人でご飯を食べて1人で当たり前のように排泄しています。赤ちゃんだったあの頃の子供はもういないんですね。

まずは過度の心配を子供に向けて発してはいけないということを知りましょう

心配を応援に変えてあげる

じゃあ心配してしまう親はどのように心配に向き合って行けば良いでしょう?

まず大前提として、そもそも親として心配することは何も悪いことではないということです。そして心配を無くすことは絶対に出来ないということです。やっぱり何も1人で何も出来なかった子供の時代を見ているわけですから。心配するということに対して罪悪感を持てということではありません。

先ほども言ったように「心配を子供に向けて発してしまうことが良くない」と考えた方が良いです。そのうえで、心配を発するのではなく、「応援」を発してあげる事が大切です。

先ほどの高校の例をとると

「少しレベルが高くて難しいけれども、私はあなたの挑戦を尊重し、応援するわ。」

これだけで良いと思います。親は子供の監督ではなく、1人のサポーターです。親が一番やるべき事は指示するのではなく、応援することです。挑戦は自信になりますし、失敗してもそれをカバーするだけの力が子供にはあります。子供の無限の力を信じましょう。

人生転んでも子供は自分の力で立てます。もし立てないときはその時は支えてあげれば良いです。転ばない方法をあれこれ心配していたら子供は歩くことさえ出来なくなります。そしてあなたの子供はどんな時でも大丈夫。だってあなたの子供ですから。

子供の可能性を最大限活かすためにも、常に子供の良きサポーターとして立ち回ってあげましょう。

最後までお読みくださりありがとうございました。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

CAPTCHA


目次