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県営住宅から追い出される。強制退去を前に娘を殺害
2014年9月、千葉県銚子市の県営住宅で、43歳のシングルマザーが中学2年生の娘を殺害するという痛ましい事件が起こりました。母親は県営住宅の家賃を2年以上滞納したため強制退去が命じられ、その当日執行官が自宅に入った際に発見したといいます。
母親は殺害した娘の頭を撫で、数日前の娘の運動会のビデオを見ていたようです。そのビデオを見終わったら母親もまた自殺をする予定だったようです。娘から虐待や暴力などの痕跡はなく、むしろ娘を日頃から可愛がっていたとされるこの事件。
「愛しているから、殺した」
こんな言葉を象徴するようなこの事件。なぜ愛娘であるわが子を手に掛けるという決断に至ったのでしょうか。
シングルマザーとなるも、娘にみじめな思いをさせたくない
事件の犯人である母親は2002年に夫と離婚。原因は夫が作った200万円ほどの借金でした。母親はシングルマザーとして暮らしていくことになったが、母親名義で夫が借金を作ったため、その負債も抱えることになりました。
しかしながら、父親は養育費を一定期間払い、児童扶養手当も支給されていました。また、移り住んだ県営住宅の家賃は12890円だったようです。そして母親自身も給食センターでパートをしてその収入も合わせると月14万円ほどになったそうです。
それでも親子の生活は決して楽ではありませんでした。
理由の1つ目は、まずそもそも養育費を父親は払っていましたが、そもそも父親が作った借金も同時に返済していたため、それは借金返済となってしまった可能性が高いことです。理由の2つ目は給食センターという職業柄、学校が長期休みに入れば収入は激減することです。
そんな事情もありギリギリの生活だったようですが、娘には洋服やアイドルグッズなどを惜しみなく買い与え、何不自由なく過ごさせていたようです。後に「ファッション誌から飛び出したような飛び出したような女の子」とも証言されており、おしゃれな様子を物語っています。

娘はとにかく明るい良い子として知られており、団地内でも子供達と遊んであげるなど、近所でも評判が良い子だったようです。このことからも虐待や精神的な問題もなく母親が愛情を注いで育ったことが窺えます。
その一方で首が回らなくなった母親はヤミ金に手を出すようになり、その高額な利息に苦しむようになります。母親はついに行政の力を借りることを決断し、生活保護の申請を試みますが「説明」を聞くに留まり、生活保護の申請には至らずに終わりました。
さらに家賃滞納が長期に及んだことで、ついに市はこの親子に強制退去を命じられました。積み重なる借金、そして住む場所も追われた親子。これは母親にとっては死刑執行にも同じような衝撃だったのかもしれません。
追い詰められた母親は運動会で使っていたはちまきで娘の首を絞め殺害し、自分自身も後を追おうとしていたようです。その後執行官が自宅に踏み込み娘の殺害が発覚、警察によって逮捕されました。
その後の裁判で母親には冷酷と言われる一方で同情される声も多く、情状酌量の余地をもって懲役7年を言い渡されました。
矛盾する養育費と境界知能。そして生活保護の水際作戦

こうして愛娘を母親が殺害するという痛ましい事件が起きましたが、この事件の問題点と学ぶべき事は何だったのでしょうか?
まずは問題点は3つ。
・父親の借金と養育費。返すべき責務と払うべき義務の両方を放棄した無責任な父親。
・相談が出来ない、母親の短絡的な行動。境界知能や精神疾患の可能性も。
・窮地に立たされた親子の救いの手を差し伸べなかった行政の責任の重さ。
父親の借金と養育費。返すべき責務と払うべき義務の両方を放棄した無責任な父親
そもそもこの事件の発端は父親の借金にあります。本来なら借金は父親が全て返済するべきですが、母親の名義という理由だけで母親が一部返済義務を負わされてしまったことです。
故に、「全ての債務を父親が負ううえで、養育費を払う」これが妥当だと思います。
それにも関わらず、負債を一部返し、養育費を払うというのは、恐らく養育費は返済に充てるという構造になっていた可能性が高いのです。これでは父親としての責務を果たしていたと言えません。
さらにはこの父親は養育費を途中から払わなくなっています。父親として、人として責任感を感じません。
そもそもこのように養育費の未払いが横行しているのは日本全体の責任です。日本では養育費未払いに対する罰則や法的拘束力が弱く、継続して支払っているのは2割未満と言われています。
アメリカや北欧などは給与から天引き、差し押さえなどを行いその支払い継続率は80%にも及びます。このように父親の無責任さ、そして養育費に対する措置の甘い日本の仕組みがこの事件を生んだとも言えます。
相談が出来ない、母親の短絡的な行動。境界知能や精神疾患の可能性も
続いては母親の問題です。母親には3つの問題が指摘できます。
短絡的な行動
母親は給食センターでパートをしていましたが、月の収入は4~7万円ほどです。そして前述の通り、長期休みは休業のため、収入は激減します。
さらに市で運営しているため、掛け持ちを断られたとも言われています。このような状況なら常時仕事が出来る別の職業に転職しようという考えを持ちそうですが、母親にはそれがありませんでした。
また、簡単に借金やヤミ金に手を出してしまうという安易さからも母親の考えの甘さを窺い知ることが出来ます。さらに北海道の実家の土地を無断で担保に入れたため両親とは絶縁状態となっていました。
そして最後は絶望し、娘を手に掛けたという点もそうですが、とにかく目先のことを考えず動いてしまうというのが大きな問題として浮き彫りになっています。
相談できない、「助けて」が言えない
次の問題点は相談や助けを求めることが出来ない点です。本来このような状況に陥ったなら官民含めても無料で相談できる場所はたくさんあります。
実際に生活保護申請には行っていますが、こちらは相談で終わっています。水際作戦で門前払いされた可能性がありますが、こうした市役所の対応には的確に申請する意思を見せ、何度も足を運んだりする必要があります。
また、もし貧困を娘に正直に話していたら、お互いに協力できることは増えていたかもしれません。
境界知能などの精神疾患の可能性
こうした母親の一連の行動は計画性の無さや性格の問題だけではなく、境界知能などの可能性もあります。境界知能とは、一言で言うと「知的障害よりは知的能力が高いが、一般の人よりは低い」状態のことです。
日常生活を過ごしている分には障害があるか分かりにくいですが、学習や仕事、社会適応に困難を抱えるケースがあります。
この母親の場合も、「うまく説明が出来ない」、「他の方法を考えられない」というのは、境界知能の可能性も考えられます。境界知能が犯罪や心中などの事件や事故に巻き込まれるケースはこの漫画でよく知ることが出来ます。
こうした生きづらさや、上手く出来ない事が多いなどの障害が社会的な孤立、そして貧困を生み出す要因になり、最後は精神疾患や抑うつに繋がってしまいます。
孤立、貧困、精神疾患の条件が揃い追い詰められてしまうと、この事件のような利他的子殺し(altruistic filicide)が引き起こされる可能性が高くなり、過去にも同じような心中事件が日本中で起きています。
利他的子殺しとは、親が子どもを「苦しみから救うため」「一緒に死んであげるため」に殺害するという、きわめて痛ましいタイプの子ども殺しです。通常の虐待や怒りによる殺害とは異なり、親の中では“愛情”や“保護”のつもりで行われるため複雑な心理的背景があります。
窮地に立たされた親子の救いの手を差し伸べなかった行政の責任の重さ
何よりも大きかったのは行政の手が届かなかったことでしょう。前述したとおり、父親に養育費を払う義務や自身の借金を返す責任を国がもっと厳しくしていたらここまでの貧困に陥ることもなかったかもしれません。
そして母親の境界知能を周りが理解して行政がもっと介入する必要があったでしょう。そもそも生活保護について説明に来た時点でこの母子家庭がどんな事情があるのか、門前払いすることなく実情を調べてあげる必要もありました。
そのうえで、住むところの無いまま親子を強制退去に踏み切るという判断は果たして正しかったのでしょうか?強制退去勧告をする前にもっと行政が救いの手を差し伸べられなかったのでしょうか?
この事件は決して父親の問題、母親の問題、そして行政の問題が個別にあるのではなく、それぞれの問題が絡み合って出来た問題だと言えます。
「こんなことでは普通は人は死なない」
私たちは小さな点だけを見て他人の悩みなど気にも掛けませんが、「線」として見ると、人が追い詰められる要因というのはもっと深刻なのです。こういった問題を線として行政や1人1人が向き合って行くことの大切さを知るべきなのです。
母親完璧主義の日本。そして見殺しにされる親と子供

この事件は日本の行政の仕組みやまだ認識の低い「境界知能」などの見えにくい障害に対して、強烈なサインを残した事件だと言えます。
しかしながら、なんと言っても悲惨なのは事情を何も知らず、将来に向けて前向きに生きる1人の少女の命が奪われたことです。私には今もなおその女の子の
「お母さん、どうして・・」
という声が聞こえてきそうです。この事件はまさにこの一言に尽きます。彼女は誰に殺され、誰に見捨てられたのでしょうか?
精神疾患を持つ人や、貧困に陥るシングルマザーを見捨てる、それが日本という事実なのです。そしてこうした問題は他人事ではなく、私たちがその問題を突きつけられる日もあるのかもしれません。
故に行政に声を挙げること、行政に参加すること、そして何よりこうした過去の問題や闇に目を向けること、それが私たちに出来る第一歩なのです。
そして何より「愛情だけで子供は育てられない」という事実から目を背けてはいけません。愛情は確かに大切な要素であり、貧困に陥りながらも娘に愛情を注いだ母親は立派だと思います。
しかし自分には出来ない事がある、第三者の助けを求める必要がある、そして自分に何かしらの障壁を持っていると知ることが出来たらきっと何かしらの救いや将来も大きく変わったのかもしれません。
日本には未だに「母親は完璧にこなせ、愛情だけで何でも出来る」という神話が残っています。そういった世間の歪んだ認知が母親を極度に追い詰め、相談や第三者の手を借りることが恥という認識を与えてしまっています。
母親も人間であり、限界がある。
その当たり前の常識を日本全体が認知し、誰かの手を借りる権利があるということを改めて認識していくことこそ必要だと感じます。
シングルマザーの貧困を「ざまあ!」、「自己責任」という声

そして、シングルマザーの貧困は自己責任という全ての人たちに言いたいです。
じゃあ自分たちは自分で決めた道で失敗したり、道を踏み外したことはないんですか?踏み外しても誰にも助けを求めずに生きられますか?
確かに離婚したこと、シングルマザーになったことは「自己責任」かもしれません。しかし、それと行政や誰かに救いの手を差し伸べてもらったり支援してもらう権利があることは別の問題です。
もし自己責任だから誰の手も借りず、自分の責任だけで背負っていけというのなら、パワハラのヤバい会社に就職して暴力受けて辞めても、訴えるなよ、失業手足をもらうなよって思います。
人は誰でも失敗します。この母親も借金癖の夫を選んでしまったし、離婚したのも自分で選んだ道です。そしてもっと良い会社で働けたし、娘や行政に相談して道を開くことも出来たでしょう。
しかし、上手く出来ない人はたくさんいます。現状にいっぱいいっぱいで適切な判断が出来ない人もたくさんいます。先述した障害を持っている人も大勢います。
そういった人たちを理解し、支援することは何か悪いことなのでしょうか?間違えた人や、道を踏み外した人を嘲笑うこの考えがこうした事件のきっかけになっています。そういう人に限って自分が誤ったときは人に助けを求めるから噴飯ものです。
犯罪に関しても同様の事が言えて、日本の再犯率が高いのは、「犯罪を犯して居場所がないのは自業自得」と考える処罰感情が高いせいです。本来は刑務所は反省して更生して、悔い改める機会を与える場です。
もちろん被害者としては、憎しみや処罰感情が湧くのは当然ですが、第三者がいたずらにそのように考え、前科持ちの人を追いやることで、再び犯罪でしか生きられない環境を作り出すのです。
結局こういった考え方が日本中の犯罪を増やし自分もその被害者になる、そして自分たちに返ってきて被害者になったり、関係の無い第三者が巻き込まれるのです。
そう思うと「シングルマザー ざまあ!」という考えがいかにヤバいかが分かります。そういった考えを変えて、1人1人の考え方を変え、行政が変われるような日本にしていかないといけないのです。苦しんでいる人や罪の無い命がこれ以上失われることのないように。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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