
わがままなゆみ子に汚いコスモスを食べさせたという解釈
今回は「ルポ 誰が国語力を殺すのか」という書籍から、ごんぎつね「死体を煮る」という小学生の回答は必ずしも誤読、そして読解力の低下とは言えない理由を示しました。
前回の記事はこちら

しかし、だからと言って子ども達の読解力が低下していないとは言えない別の回答があります。それが今回の「一つの花」における小学生達の答えです。
一つの花のあらすじ
幼い少女・ゆみ子の口癖は「一つだけちょうだい」だった。戦争が激しい時代で、食糧不足であり、ゆみ子の両親は育ち盛りの彼女にお腹いっぱい食べさせたくても食べさせてあげる事が出来ず、「一つだけよ。」と言って聞かせてあげていた。
そんなある日、ゆみ子の父にも召集令状が来て出征する事になった。出征の日、見送りに来たお母さんとゆみ子。ゆみ子はお父さんのカバンの中にはおにぎりが入っている事を知っていた。それはお母さんが出征するお父さんのために家に残っていた貴重なお米で作ったおにぎりだった。
ゆみ子は「おにぎり一つちょうだい」と言った。ゆみ子は何度も「一つだけ。一つだけ。」と言うのでお父さんのおにぎりを全部食べてしまった。ゆみ子はその後もおにぎりを「一つちょうだい」とねだったが、もう彼女にあげるおにぎりは無かった。
困ったお父さんは周囲を見渡し、ポツンと一つだけ咲いた一輪のコスモスの花を摘んでゆみ子に渡した。「さあ、一つだけあげよう。一つのお花、大切にするんだようー。」と言ってお父さんは汽車に乗った。この後お父さんは二度と帰って来なかった。
10年後、お母さんと2人暮らしのゆみ子は成長して家の手伝いをするしっかり者の女の子になっていた。今日も元気におつかいに出かけるゆみ子の姿があった。彼女が暮らす家の庭にはコスモスの花がたくさん咲いていた。
引用:wikipedia 一つの花より 引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E3%81%A4%E3%81%AE%E8%8A%B1
書籍「ルポ 誰が国語力を殺すのか」によると、一つの花の中でお父さんがコスモスを渡したのは
「駅で騒いだ罰として(ゴミ捨て場のようなところに咲く)汚い花をゆみ子に食べさせた」
「このお父さんはお金儲けのためにコスモスを盗んだ。娘にそのコスモスを庭に植えさせて売ればお金になると思ったから」
このような回答が複数あったとされています。これは前回の「ごんぎつね」のように誤読とは言えないのか?を見ていきます。
「一つの花」の回答は明らかな誤読と読解力の低下を示している
この回答に関しては前回の「ごんぎつね」とは異なり、明らかな誤読、そして子ども達の読解力の低下を示唆する回答と言えます。
前回の「ごんぎつね」に対しては誤読か誤読でないかの判断基準に以下を示しました。
・情報の欠如
・誤解を招く一文
・いやらしい質問
まず「ごんぎつね」で登場する昔のお葬式については知識が皆無である場合、仕方が無いと言えるのです。しかし今回の「一つの花」の場合、戦争という時代背景の考慮以外は、知識が無くても読み解くことが出来る部分はかなりあります。
確かに「一つの花」では戦争で出征するという小学4年生には難しい場面なのかもしれませんが、決して戦争について無知であるという状態ではないはずです。
この時期になれば「火垂るの墓」や「うしろの正面だあれ?」などを見て、戦争について学ぶ時期だと思うし、戦争でどのような事が起こるのかはむしろネットなど情報がありふれているからこそ、今の子ども達は知ることが出来るのではないかと思います。
さらに前回の「ごんぎつね」とは異なり、「一つの花」にてお父さんがコスモスを渡したのかには誤解を招く一文も存在していません。
さらにお父さんがコスモスを渡したのは物語に重要な意味を持ち、「なぜコスモスを渡したと思いますか?」という質問は本質を突いていると言えます。
もしそのうえでこのような回答が出るとしたら、戦争に対する情報が著しく欠如しているか、登場人物の心理をかなり読み違えているか、のどちらかである可能性が高いと言えます。
「正解は一つじゃない!」に潜む危険な考え方

よく国語や物語を読み解くうえで、このような事をよく言われていると思います。
「正解が一つじゃなくても良いじゃないか!」
確かに数学と違い、国語には明確な正解というものは存在しないでしょう。しかし、私はある程度の「射程範囲」というものがあると考えます。
つまり、どんな回答をしたとしても、ある程度作者や登場人物の気持ちや伝えたい方向に回答という矢を放つ必要があるということです。どこに的があり、その方向に最低限弓を絞る必要がある。そこに向けてさえいればぶっちゃけ届かなくても、当たらなくても良いとは思います。
将来的には国語という域を超えて、相手との距離感や気持ち、マーケティングなどでも同じように最低限の正しい方向性を向けなければいけないです。
人間というのも表情や態度とは実際には違った本音があることがありますよね?
「相手は笑顔で答えているけど、ちょっと顔が引きつっているから実は答えたくない質問なのかもしれない」
「彼女は不機嫌にずっと押し黙って下を向いているけれど、本当はあなたの一言を待っているのかもしれない」
こういった相手の気持ちを読めないと、これらを笑顔でいるからこの質問を続けようとか、不機嫌なんだから何か言ってはダメなんだな、などのミスリードが起こる可能性もあります。
マーケティングも同じで、なぜそれを買うのか、なぜその商品が売れているのかなどの消費者心理は意外と単純なものではなく、リサーチや分析をしっかりとしなくてはいけません。多分こう思うからこういった商品が売れるという間違った認識や何となくだと、マーケティングは失敗するのと同じ事です。
このように人生には相手の微妙な余白や表情、言葉、心理などから相手の本音や心理状態から逸脱した行動を起こしてしまえば相手も不快になる場合もありますし、仕事では重大な損失に繋がる場合もあります。真実を読み取らなくてはならないのです。
「いろんな答えがあっていい」「答えは一つじゃなくて良い」は本当なのでしょうか?
「駅で騒いだ罰として(ゴミ捨て場のようなところに咲く)汚い花をゆみ子に食べさせた」
「このお父さんはお金儲けのためにコスモスを盗んだ。娘にそのコスモスを庭に植えさせて売ればお金になると思ったから」
この回答は果たして物語の登場人物の心情を正しく読み取っているでしょうか?完全に作者や登場人物の気持ちの「射程範囲」の外に弓を放っていると言えるのではないでしょうか?
ゆみ子がむかつくという感じ方について
結論から言うと、ゆみ子に対してむかつくという感情を抱くのは別に構わないと思っています。
問題なのは自分が「むかつく」という感情だから、お父さんやお母さんもむかついているという解釈をすることです。
ゆみ子があまりに小さく戦時中という事情とはいえ、「一つだけ」という言葉を覚えて、お父さんのおにぎりを食べてしまったり、最後のお別れの時でさえ、「一つだけ」と言い泣き出してしまうのですから、分かっていてもなんだか腹が立つという気持ちはあるでしょう。
でもそれでもゆみ子は幼すぎて、そして戦争という事情を理解できる年齢ではありません。それは仕方の無いことです。
それでも戦争という二度と帰れないかもしれない、もう死んでしまうかもしれない状況で、子どもに罰を与えて嫌がらせのような事をするのか?そしてごみ箱の近くにでも咲くようなどこにでもある花がお金儲けの花になるのか?
自分の感情を起点にすること自体は自然ですが、それをそのまま登場人物の心情に置き換えてしまうと、物語の本来の意味から離れてしまいます。
おわりに
今回の「一つの花」は実際は意外と余白や考察すべき点が多く、実は小学生には難しい題材なのかもしれません。
・「一つだけ」という言葉にはどんな意味があるのか?
・なぜごみ箱のところに忘れられたようなコスモスをお父さんは渡したのか
・最後になぜゆみ子はお父さんがあったことも知らなかったのか
など、たくさん読み解くべき場所があります。意外と大人でも考えてみると興味深い部分がたくさんありますね。だからこそ、子ども達の読解力を磨くのに良い物語なのかもしれません。
ですが、今回の書籍に書かれているように、断片的な情報や自分の感情だけで物語を読み解くのは子ども達の国語力が低下していると言われても仕方が無いのかもしれません。
著者いわく、国語力とは以下です。
・想像する力
・考える力
・表す力
このように考えると国語力とは地頭に直結すると言えるでしょうし、他の教科を学ぶ上でも全ての土台となる基礎となるものです。
よく職場でもこのような事を言っているのを目の当たりにしないでしょうか?
「みんな忙しいのに、なんで手伝わないの?」
若者の答えはこうでした。
「何で手伝ってって言わないんですか?」
確かに中高年世代は言わなくても分かるだろ!感が強く、空気を読め的な風潮がそれはそれで問題だと思います。しかし、若者の周りの状況を見て、相手が求めている事を先回りする力というのがかなり欠如しているとも思います。
だから、お互いに問題はあるけれど、「言われないから手伝わない」のは果たして仕方がないと言えるのか?ということは考えなければなりません。
もし「言われないからやらない」「感じたままに解釈する」が当たり前になってしまえば、私たちは相手の意図を汲み取る力を少しずつ失っていくのかもしれません。
「一つの花」の読解で問われているのは、まさにその力です。今一度、「読む」という行為の意味を考え直す必要があるのではないでしょうか。
最後までお読みくださりありがとうございました。








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