
死刑制度廃止を廃止した日本市場最悪の事件の現場へ
先祖の地を探しにひょんに旅をすることになった房総半島ですが、最後に鴨川と勝浦をまたがる崖にある2つの悲しい事件のあった場所に向かいたいと思います。それがおせんころがしと呼ばれる海沿いの断崖です。
おせんころがし殺人事件という殺人事件が1951年に勝浦市と鴨川市(旧小湊町)をまたぐ断崖で起こりました。母親の目の前で3人の子供を母親の目の前で断崖から突き落とし、母親を強姦し、殺害。犯人はこの他にも窃盗、殺人、強姦、屍姦を繰り返し、日本市場最悪とも言われる凶悪犯罪を犯しました。
今日はそんな事件のあった現場に向かいたいと思います。
おせんころがしのアクセス
おせんころがしと呼ばれる断崖は、国道128号線の長いトンネルの手前にひっそりと小さな道にあります。
Googleマップを見ての通り、駐車場とも言えるのか言えないのか分からないような砂利の駐車場があり、そこからおせんころがしまで行くことが出来ます。当然そんな暗い事件があって観光地というわけでもないです。などでナビでしっかりと確認しないと見過ごしてしまいます。
駅でいうと行川アイランドから徒歩数分の場所にあります。この行川アイランドもかつてはレジャーランドの最寄り駅として作られた駅なのですが、行川アイランド自体も2001年に閉園。行川アイランドも廃墟と化して、今回のおせんころがし殺人事件が起きた場所から近いということで、一部の心霊スポットマニアからはひそかに人気だそうです。
この砂利道に入ってそこに車を止めておせんころがしまで向かいます。

入るとすぐに既に廃墟になったラブホテルとの分岐になります。

この細い道をひたすら歩き、3分程するとおせんころがしの供養塔があります。

供養塔と共に、おせんころがしのエピソードが描かれた説明書きを見ることが出来ます。

断崖の上へ。かなりの急斜面なので恐くてこれ以上下を覗けません。携帯落としてもとても取りには行けないでしょう。
最初の悲しい事件 おせんころがしの由来

かつてこの崖の近くにはとある領主がいて、その領主は思い年貢と取り立てて、領民を苦しめていました。このことを聞いた領主の娘のお仙が心を痛め、父に年貢を軽くするようにお願いしたが、父は受け入れませんでした。そうこうしてるうちに、我慢の限界が来た領民達は領主を崖から突き落とし殺害する計画を立てます。
それを知ったお仙は父親の着物を着て、身代わりになろうと決意しました。領民はそうとも知らず、闇夜に領主に化けたお仙を襲い、崖下に投げ落としてしまいました。翌日、崖下の亡骸を見て、それがお仙だったことを知ると領民達は肩を落として泣きました。領主であった父親も嘆き悲しみ、それからは領民の年貢を軽くしたそう。
娘の父と領民に対する思いが、このような悲劇に繋がったという悲しい事件がおせんころがしの由来です。
おせんころがし殺人事件 子供と女性を7人殺した日本市場最悪の事件
もう1つの事件は1952年(昭和26年)に起こります。前述の通り、この事件では、幼い子供3人が母親の目の前で男によって崖から突き落とされ、母は強姦され殺害、長女だけは重傷で助かったものの3人の家族が殺害された事件が起こります。
犯人の名前は栗田源蔵という男でした。
この男はこのおせんころがしだけではなく、各地で窃盗、強姦、殺人を繰り返していることが発覚しました。警察が把握できただけでも計7人を殺害しています。その他にもいくつかの余罪がある可能性があるとしています。
当時日本では死刑制度を廃止しようという動きがありましたが、この栗田源蔵の極悪非道な事件で1審、2審でも死刑という前代未聞の判決が下ります。これにより死刑制度という動きは止まり、現在まで死刑制度の未だ無くならない国として混迷しているわけです。
栗田源蔵の過去と生い立ち
栗田源蔵の生涯の動画
栗田源蔵の生涯はこちらの動画が参考になります。
夜尿症が原因で誰にも愛されなかった男
栗田源蔵は秋田県の現在は羽後町の極貧家庭の12人兄弟の三男として生まれます。12人の子沢山であり貧乏ということもあり、源蔵は親から放置されて成長していきます。源蔵は小学生に上がっても夜尿症、つまりおねしょが直らなかったため学校でいじめに遭っていたようです。小学3年生で中退し、奉公に出るものの、おねしょが原因で追い出され、1年間に10回以上奉公先を変えたようです。
時は太平洋戦争。栗田も19歳の頃に兵士として入隊するが、ここでもおねしょが原因でわずか2ヶ月で除隊にされています。この夜尿症、おねしょが栗田源蔵の心の闇の1つとなっていたことは間違い無いようです。現に死刑寸前まで栗田はこの夜尿症という病気に苦しんでいました。
美唄炭鉱で変わる性格と最初の殺人
終戦後は北海道の炭鉱で肉体労働をすることになるのですが、荒くれ者ばかりの炭鉱で、栗田源蔵の心も変わっていきます。そして闇商売の世界のブローカーになっていきます。そしてそこで最初の殺人を犯すのです。
当時栗田は2人の女性と恋人関係にあり、女性2人それぞれに結婚を匂わせる話をしていましたが、その婚約を疑い始めた女性1人を鬱陶しがって初めて人を殺害しました。そしてその女性がいなくなったことでもう1人の女性が栗田を問い詰めると「好きなのは君だけ。そいつはしつこいから殺して埋めた」と供述を始めます。
このことで自首を強くすすめられましたが、それに激昂した栗田はもう1人の恋人も殺害します。こうしてついに重い犯罪に手を染めた栗田はその後各地で窃盗、強姦、殺人を繰り返すようになります。

栃木県で強姦殺人事件
1951年、小山駅に降り立った栗田は幼い子供を寝かしつけている女性を強姦し殺害、屍姦。幸い寝ていた子供は無事だったようですが、こうして駅で地方に移動しては殺人事件を繰り返すという最初の事件になります。
おせんころがし殺人事件
上総興津駅に降り立ち、行方不明になっていた夫を探すため途方に暮れていた親子4人に栗田は声を掛けます。最初は家に送ってあげると言い、長男を自転車の荷台に載せて歩いていた栗田。その後、栗田は女性を誘おうとしたが、抵抗にあい、断念します。
しかし、おせんころがしに差し掛かった途端、突然長男の乗った自転車を崖に突き落としました。その後長女も石で殴打し、崖から突き落とし、急に子供を突き落とされショックを受ける母親を強姦して、背中に背負っていた次女ごと投げ落としました。被害者達はなんとか崖にしがみついていたが、栗田はわざわざ崖から降りてきて、被害者達を石で殴打、とどめをさしました。長女だけは草むらに隠れ奇跡的に生き残りました。
検見川事件
現在の千葉市花見川区で主婦とその叔母を殺害。主婦を屍姦。ここでついに栗田の指紋が検出され、栗田は逮捕されました。その後、前述の事件も明るみになり、1審2審で死刑判決が出て、ついに栗田の死刑が確定します。
死刑へ 死刑執行前の栗田の様子は?
こうして栗田は宮城刑務所に移されます。上記の動画では栗田源蔵は最後まで死刑も余裕という風に描かれていますが、実際は死刑判決が出た後はかなり精神的に追い込まれていたようで、拘禁ノイローゼのような状態になっていたようです。
精神科医であり、「宣告」という書籍を出版した加賀乙彦さんが拘置所に訪れた際には冤罪を主張したうえで「生きたいんです。助けてください」とまで言っていたようです。また教会の牧師に対して「おせんころがしで被害者になった女性が子供を連れて泣いている夢を見た」など、悪夢にうなされたようです。
そして栗田は最期の時まで夜尿症を治すことができず苦しみ、1959年、ついに栗田の死刑が執行されます。享年32歳。

2人の生存者 小山の子供とおせんころがしで生き残った長女のその後
その後、目の前で親が殺された小山の子供はどうなったのでしょうか?その後の資料や情報などは存在していません。事件が1951年だったので、2025年現在では、74歳以上になっているでしょう。生存している可能性は高いですね。
幼い記憶とはいえ、起きたら母親が殺されていて、母親がいないという寂しい子供時代を過ごしたのかもしれません。私も小山で育ったので、どこかですれ違っているかもしれませんね。
おせんころがし殺人事件で生き残った長女に関してもその後の情報はほとんどありません。栗田が去った後、僧侶が3人の親子の遺体と泣いている長女を発見して通報、保護したようです。その後事件の現場検証にも立ち会ったようで、時折肩を震わせ泣いていたようです。目の前で兄弟や母親が殺されたという恐怖はすさまじいものだったことでしょう。
私はただ2人には被害者の分まで幸福に暮らし、生きた人生であって欲しいと願わずにはいられません。
栗田源蔵から思うこと 犯罪者は犯罪者として生まれるのか?

こうして日本史上でもかなり凶悪な犯罪を犯した栗田源蔵ですが、栗田は生まれながらにして犯罪者なのか?というところに疑問が残ります。栗田を悩ませた夜尿症という病気こそが栗田源蔵の人生を狂わせた原因だと考えています。
現代こそ恐らく夜尿症の治療方法があったり、治らなくても大人用の紙おむつもあるので、なんとかそのコンプレックスを補うものが現代ではありますが、当時はそういった治療法も無ければ、そもそも夜尿症が病気という概念も無かったのだと思います。
自分ではどうすることもできず、されど周りからは理解されず迫害され、自分の居場所を失っていった。栗田源蔵を栗田源蔵という犯罪者にしていったのは、実は周りの人間のせいでもあるのではないかと思っています。
人には自分にはどうしようも出来ない障害やコンプレックスを持って生まれてくる人もいます。現代治療でどうにかなるものもあれば、どうにもならないものも存在します。それが精神障害なのか、身体障害なのか、それとも知的障害なのか。そういった病名すらもつかない心の病とかもきっと今もなお、あるかもしれません。
何にしても日常を普通の人と同じように暮らせない人がいるのは事実です。そういった人間を迫害したり差別すればするほど、居場所を失った人間が犯罪を犯す可能性があるのです。そしてその犯罪の被害者はいつも何も知らない無実の誰かなのです。
もしも栗田がそれでも親の愛を受け、周りからの理解を得られ、何かしら夜尿症を治す医療に恵まれていたら、全ては変わっていたのかもしれません。
私も高校時代、ストレスのせいか、なぜかどうしても顔が笑ってしまうという謎の病気?を発症しました。なんという病気か分からず、周りからは気持ち悪がられ自分にはどうすることも出来なかったです。恐らく精神的にストレスを抱えていたので、その影響かもしれません。さらに腋臭体質で、周りから臭いと言われてコンプレックスでした。今でも気をつけてはいるけど、完全にどうにでもなるものでもないです。もちろん治療や手術という手もありますがね。
そうやって周りから理解されなければされないほど、自分の心も荒んでいきました。当時は高校生とかで他人の目線や評価に敏感な時期でしたからね。それでも一定の理解者がいて、自分でもなんとか心を癒やし、周りに気を遣うことが出来たから犯罪を犯すことなく、生きて来れたのだと思います。
人はどうしようもないコンプレックスを何か生まれ持っています。それを理解してあげるのか、あげられないのか、それが栗田源蔵のような犯罪者を生むのか、犯罪の芽を摘み取るのかの境界線なのかもしれませんね。
「犯罪者は極刑にすべきだ!」
という気持ち1つでは、犯罪者を減らすことは出来ないのです。そんな気持ちを持って改めてこの事件の真実を知り、周りの人と接してみると良いかもしれません。
最後までお読みくださりありがとうございました。
コメント