ユダヤの金言集がタルムードなら、日本の金言集は氏綱公御書置
前回記事にてユダヤの宗教的典範、タルムードについてお話ししました。
記事はこちら
子供と読み、考えたいタルムードの小話。成功者が多いユダヤ人が子供達に教えていること
解説したとおり、地球上に0.25%程で、過去に散々迫害を受けたにも関わらず、成功者やノーベル平和賞を受賞する人の多くがユダヤ人なのは、このタルムードを始めとする、様々なユダヤ教における教えが、現在まで通じる成功の秘訣の1つと言えるでしょう。
私はこのタルムードの小話を日本でも多くの人が知って欲しいと思う一方で、歴史があり、様々な書物や偉人が登場している日本の歴史の中で、日本人もタルムードのような現代まで通じる典範のようなものがないのが、どこか奥ゆかしさを感じずにはいられませんでした。
日本はそもそも宗教信仰が薄く、神道においてはそもそも現実を生きる教えや典範のようなものって知らないし、仏教の教えも思っている以上にどんな教えを説いているか、は漠然としか知りませんし、そもそも現実をどう生きるか、みたいな成功哲学みたいなものが古来より日本人に浸透しているというものは知りません。
ですが、歴史に埋もれてしまっているだけで、タルムードに匹敵するような教えは無いか、ということで私が見つけたのが、北条氏綱公御書置です。
北条氏と北条氏綱とは?何をした人?
北条氏は戦国時代に一介の武将から相模(現在の神奈川県)の大名にのし上がった、いわゆる下克上というやつに成功した家計です。それが北条氏であり、その初代が北条早雲(伊勢宗瑞)です。
※鎌倉時代の執権北条氏と区別し、後北条氏と呼ばれることもあります。
その早雲の子供であり、2代目を継いだのが今回の主人公、北条氏綱です。
2代目と言えば初代が優秀すぎて2代目になると没落したり、滅んでしまうケースが実は多いのです。三国志における劉備の息子の劉禅の時代に蜀は滅び、その他秦の始皇帝の死後すぐに秦も滅亡し、隋も2代で滅亡。日本においても豊臣秀吉、源頼朝など、初代の死後すぐに没落と滅亡の歴史を繰り返しています。
戦国時代であり、下克上で敵だらけ、そして優秀な初代の死という絶望的な中、周りの敵を倒し、初代以上の領地と繁栄を築くのがこの北条氏綱です。そしてその氏綱の息子である「相模の獅子」と呼ばれる北条氏康がまたさらなる繁栄を築きます。
こうして世代が変わることに衰えるどころか繁栄を続けるのは、ひとえに一代だけの優秀さではなく、大切な教えと教訓を引き継いできたことにあるのではないかと私は考えています。
そんな氏綱が死の間際に氏康に残したのが、北条氏綱公御書置です。
これは主に五箇条で構成されているので、五箇条の遺訓とも呼ばれているのですが、この五箇条のうち、タルムードの教えと極めて近い4つの教えをタルムードの教えと照らし合わせて紹介したいと思います。
使えない部下などいない。使えない上司がいるだけだ
まず始めに紹介するのは人材の活かし方、人の使い方についてです。
北条氏綱はこのように残しています。
農民から侍まで、全ての者を慈しめ。捨てるような人間など1人としていない。使えないところは使わなければ良い。使えるところは使えば良い。使えない部分を使うのはその部分を用いる大将の過ちである。
つまり「使えない」と人に言っているのは、人の短所を一所懸命使っているお前が使えないんだよ。
一方タルムードではこのような小話があります
愚かな農夫がいた。耕作用の牛と、荷物運搬用のロバに同じくびき(車を引くために使う横木)をつけて牛とロバを一緒に進ませようとした。しかし、ロバと牛は足並みが揃わず、歩みを止めてしまう。
農夫は「なぜ2匹とも動かない!」と、牛とロバをムチで打ち続けた。そのため牛とロバは死んでしまった。
その後も農夫はまたロバと牛にまたくびきをつけ、また同じようにムチを打ち続け、自分の間違いには気付けなかった。農夫は生涯貧しい暮らしから抜けられなかった。
これは以前にも紹介したタルムードの小話です。
前回のはなしはこちら
子供と読み、考えたいタルムードの小話。成功者が多いユダヤ人が子供達に教えていること
以前にも解説したとおり、このお話は耕作が得意な牛と、荷物運搬用のロバにそろぞれ得意でもない事を一律に何かやらせても上手くいかないという事を例えた小話です。
この2つの共通点は何でしょうか?
人が使えないのは、個人の責任ではなく、個人の長所と短所を分けて、得意を使えない教える側、上司の責任だということです。
企業でも学校でも、仕事が出来ない、勉強が出来ないのはすぐその人の努力不足を指摘しがちですが、そのように考えてしまうのはまさに上に立つ立場の資格がないということです。
確かに仕事でもその仕事が適職かどうかは本人がしっかりと自己分析し、適性を判断した上で入社をするべきですが、そうであっても必ずしも自分に適した部署や得意を発揮できる場所に配置されないのが現実です。そこで活躍できない人材に対して「使えない!」というレッテル貼ることは果たして正しい判断なのでしょうか?
学校においても同様で、数学が0点でも、英語が100点で、英語を楽しく勉強できているなら、それで良いのです。将来英語を活かせる仕事や、もっと英語を勉強できる環境を整えてあげることが教育者の役割だと考えています。
出来ないところばかりに着目して愚かな農夫のように「なぜ出来ない!」と言うことは簡単です。しかしその考えでは人の長所を活かすことが出来ないばかりか、ずっと人を適職に配置できずに人材を活かせない愚かさに気付けないまま会社は衰退していきます。
今いる人材が本当にいかんなくその能力を活かせているのか、それは会社や組織でしっかりと見極めていくことが、人を「人財」となし得るものだと2つの教えは示しています。
勝って兜の緒を締めよ。良いときこそ、油断するな!
勝利し続けると、驕る心が生まれ、敵を侮ることが増え、不行儀になる。勝っているときこそ、兜の緒を締める心を忘れるな。
タルムードにはこんな話があります。
ある時、エジプトのファラオが夢を見た。ナイルのほとりから丸々と太った牛が7匹現れた。その後、ガリガリの7匹の牛が後から現れ、なんと太った牛を食べてしまったのである。
ファラオがこれは何かお告げなのかと夢をよく当てるヘブライ人に尋ねると、こう述べた。
「エジプトにはこれから7年の豊作が訪れます。驚くほどの大豊作となるでしょう。しかしその後の7年は一粒の小麦も取れないほどの大飢饉になるでしょう。」
それを聞いたファラオはどうするべきかと尋ねたところ、こう述べた。
「豊作の7年間は収穫を食べ尽くさずに可能な限り貯蔵してください」
ファラオはそのアドバイス通りに豊作の7年間は可能な限り倹約し、貯蔵した。そして予言通りに豊作の7年が過ぎると8年目は大凶作を迎えた。その大飢饉は全世界に及び、多くの周辺諸国は全ての富を失ったが、エジプトだけはこの苦難の時を乗り越えることが出来た。
この2つの話の共通点は、良いときこそ、悪いときに備えよ。ということを教えています。
北条氏綱は「勝ち」に言及していますが、まさに勝ち続けることは油断や奢りに直結します。桶狭間の戦いで有名な今川義元は織田の10倍近い兵力で油断し、桶狭間で宴会を始め、油断しているところを大将が討ち取られるという油断により敗北しました。兵の数で勝てる!と慢心し、劣勢の相手に負ける、という事例は戦国において珍しい話ではありません。
勝ちに限らず良いときが続けば人は油断し、奢りが生じます。タルムードの教えでも、もしファラオが豊作に浮かれ、穀物を食べ尽くしてしまったらエジプトは飢餓が蔓延し、国力は低下することは間違いが無かったでしょう。
日本においてはまさにバブル景気という豊作を食べ尽くしてしまい、将来来たる不景気や少子高齢化などの対策を怠り散財したため、現在に至る国家の衰退という大飢饉を呼び込んでしまっています。この2つの教えをしっかり守っていたなら、今の日本の現状はもっと違う景色だったのかもしれません。調子の良いときこそ慢心しない、という心こそ、今の日本において最も知っておきたい2つの教えと言えるでしょう。
身の丈に合った生活を心得よ
驕らずへつらわず、身の丈に合った生活を送れ。五百貫なのに千貫のように振る舞うと本当に苦労するぞ。派手な生活は避けて倹約しろ。派手な生活は領民や商人も困らせるが、倹約を心掛ける者は、領民までもが豊かになり、国中豊かな国は戦でも強い。
※「身の丈に合った生活を送れ」と「倹約しろ」というのは別々の条項ですが、一緒に解説します。
タルムードにはこんな小話があります。
金の冠をかぶった雀
ある日、ソロモン王が鷲に乗ってエルサレムから遠くの地を目指して飛んでいたとき、体調が悪くて、鷲から落ちそうになった。
それを見た雀たちが集団でソロモン王が落ちないように支えた。これに感謝したソロモン王は雀たちに言った。
「お前たちに何でも欲しいものをあげよう」
雀たちは帰って何をもらうか議論した。
「いつでも身を隠しておける葡萄畑」
「いつでも水が飲める池」
「いつでも食べ物に困らないように野原に落穂をまいてもらう」
なかなか意見がまとまらない中、ある雀が言った。
「ソロモン王と同じように金の冠をかぶって飛んだらさぞかっこいいだろう!」
それを聞いた他の雀たちはみなそれに賛同し、ソロモン王に金の冠を全員分所望したらソロモン王はこう言った。
「あまり良い考えではないな。考え直したらどうだ?」
しかし、雀たちは引かないので、ソロモン王も仕方ないと金の冠を与えた。
雀たちは喜んで悠々と飛んでいたが、金の冠をかぶっていることを猟師たちが知ると、こぞって雀たちを狩り始めた。雀たちはことごとく撃ち殺され、ついにイスラエルの雀は5羽になった。そしてこう言った。
「私たちが間違っていました。もう金の冠はいりません」
この2つの教えの共通点は、「自分の身の丈に合わない生活は身を滅ぼす」ということを教えています。
北条氏綱は過度な贅沢をすると結局領民や商人にまで迷惑が及ぶ、ということを説いています。タルムードの教えにおいては、身の丈に合わず、財産を見せびらかすような行為は悪い者に狙われるということです。
現代でも泥棒や強盗が入るのは大抵お金のある屋敷です。しかも過度にブランドの服や時計を着飾る行為は財産をみせびらかしている行為で、そういう人ほど狙われます。ましてや無理して買ったような車や時計が盗まれたら自分の財産のほとんどを取られたと言っても過言ではありません。
かつてのフランスの王朝、ルイ16世の時代は、貴族や聖職者には税を掛けずに、農民などの貧困者だけに重税を強いていました。さらにマリーアントワネットの宮廷内の散財において、宮中の財政はかなり逼迫し、フランス革命が起こることになりました。これによりルイ16世とマリーアントワネット始め貴族の多くがギロチンにかけられ、自分たちの贅沢により身を滅ぼすことになりました。
このように贅沢によって下民が苦しめられ、身の丈に合わない生活をして身を滅ぼした例はたくさんの過去にあります。だからこそ倹約を専らとし、無駄な贅沢をしないことが国や自分を豊かにすることが出来ると説いています。個人においては贅沢や身の丈に合わない生活が家族や親戚にまで迷惑を及ぼす可能性があるということです。
ユダヤ教においては「Eat poorly,Think richly」という言葉があり、貧者のように食べ、考えは豊かにしろ!という言葉があります。ユダヤ教においてはグルメは良しとはせず、過度な暴飲暴食に対する戒めもあります。また、ユダヤの5つの心構えに
「Decent(適正)」・・身の丈に合った報酬、生活を送れ
という言葉があります。身の丈に合わない報酬を受け取ったり、身の丈に合わない生活は良いことがないという教えです。
このように、背伸びをした生活や贅沢を戒め、倹約を行うことで、身の破滅を防ぐ重要性を教えています。
貧しい者や弱い者を救済せよ
ここまで北条氏綱公御書置とタルムードの小話に共通する教えを紹介しましたが、御書置になくても、この北条氏の行いとタルムードの教えで共通しているものはまだあります。
それが貧しい者や弱い者に手を差し伸べることです。
先代の北条早雲は、伊豆で悪政を強いた領主(足利茶々丸)を攻める前に、そこで貧困や病気に苦しんでいた領民に食料や薬を与えてから、その悪い領主を攻め滅ぼしました。よその領民でもまずは下民を救済したのです。
また北条氏は代々に渡り
四公六民(4割を年貢、6割を民に与える。当時他の領主は五公五民、悪いと六公四民だった。)
目安箱(侍だけでなく、領民からも意見を募る。徳川吉宗もこれを真似した。)
公平な裁判(侍や奉行であっても不正をし、領民から訴えがあったら平等にこれを裁く)
など、権力や財産を独り占めせずに、領民に寄り添った政策をすることで、身分を問わず多くの人に慕われていました。
また、ユダヤの教えにおいても、寄付をし、貧しい者を救う習慣があります。成功者や金持ちが多い一方で多くのユダヤ人が貧しい人や寄付によって私腹を肥やすのではなく、社会貢献をしているのです。むしろ成功するから寄付をするのではなく、多くの人を救うからこそ、ユダヤ人は成功するのかもしれません。
北条氏も領民を救い、貧民救済を心掛けるからこそ、世代を追うごとに領土も大きくなり繁栄した国家を築くことが出来たのでしょう。残念ながら北条氏は豊臣秀吉の小田原征伐によって5代(正式には6代)で滅びてしまいますが、戦国時代でなければ永代まで続く北条王国を関東に築くことになったでしょう。
最後に
いかがだったでしょうか?ユダヤの教えや西洋の教えはかなり現代でも活かすことの出来る教えが多いですが、日本にも負けじと現代まで通じる教えが溢れています。その1つが今回の氏綱公御書置だと考えています。
日本は決して考えが乏しく、歴史の浅い国ではありません。西洋やユダヤ教にも負けない現代でも通用する考えが歴史に埋もれてしまっていると私は考えています。そういった教えや歴史を再発見をしつつ、日本人であることを誇り、現代日本の立て直しの礎になればと考えています。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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