躾のなっていない子供と言われて
前回青木さやかさんの半生を綴った書籍「母」にて、青木さやかさんが母に大切にされてこなかった過去の話をお話ししました。
前回の記事はこちら
青木さやかさんの半生を描いた書籍「母」から、親として子供と確執しない方法を考える
この記事を書いていて、私は自分の祖母の事を思い出していました。
実は私は祖母と仲が悪かったのです。
「自分は長く生きているから、年下の人間に何を言っても構わない」
というような考えで、自分の思っていた事や自分の正しいと思うことをズバズバ言って、人に押しつける考え方がすごく嫌でした。
特に男に対しては、強くあたるイメージがあり、男性に対する偏見というものが強くあったようにも思えます。その背景には恐らく当時の昭和の男社会が影響しているのだと思います。
昭和の時代、祖母はバリバリの保険のセールスマンで、いくつもの新規契約を成功させ、100万円近い給料をもらっていたようでした。
しかし、女性が働いているのすらまだ珍しい社会だったので、それほど働いている祖母は男性にとってはかなり偏見に見られていたようです。
The昭和の男!という感じだった祖父は女性の方が給料が高く、自分が家族を養えていないんじゃないかと思われるのが嫌で、祖母に退職するよう何度も迫ったようで、祖母の会社にも解雇するよう迫ったこともあるそうです。
そういった過去がより祖母の男に対する偏見というものを強くしていったのかもしれません。
何かあると、いつも母に「あんたのしつけが甘いから」と言い、それを母自身も私のしつけに対して思い悩んでいるようでした。そしてそれを見るのがいつも嫌でした。
祖母との同居が大きなストレスに
そして、私は高校生の時に、大学に行くことになります。当時受かっていた大学は東京だったので、東京に上京することにしました。
と言っても、一人暮らしをしても、仕送り出来る余裕が家には無かったし、バイトで生活費と学費を稼ぐというのも現実的ではありませんでした。毎日栃木から通えるような距離でもなかったため、東京にある祖母の家に同居することになりました。
今、もし時を戻していたなら絶対にするべきではなかった選択だと感じますね。無理に大学に行く必要もなかったし、栃木から通える学校を探すか、専門学校か就職していたと思います。
しかし、私はその時大学に進学することしか考えていなかったし、東京に上京するのも憧れだったし、嫌ではあったけど、どうにかなるか、くらいにしか思っていませんでした。
でも案の条、一緒に住んでみたら嫌で嫌で仕方ありませんでした。
何かと言うとガミガミ言ってくるし、私があんたを住まわせてやってるんだから、というような態度だったので常に窮屈でした。
「あんたはマザコンだから、2週間にいっぺんくらい帰るわね」
「私があんたを監視してるのよ」
みたいな言葉を投げつけられました。
また、自分の固定概念みたいなものも押しつけられ、自分のやっていたことのいろんな事を禁止してきました。
当時私は頻繁に身体を鍛えてジムに行っていたので、筋肉トレーニング後はプロテインを飲んでいたのですが、それも禁止されそうになりました。
「そういう栄養補助食品みたいなものは食べられない年寄りが仕方なく使うものだ!」
と言い、こちらが何を言おうとしても
「ダメ!ダメ!」
の一点張りでした。
そんな感じなので、私は話をしたくもなく、バイト三昧と友達と飲みに頻繁に行き、祖母の家に帰ることはあまりありませんでした。
将来犯罪を犯す人になる
そんなこんなで喧嘩もあり、距離を置き、大学3年の頃でした。
どんな理由かは忘れましたが、とある喧嘩があり、私も怒って椅子で冷蔵庫を凹ませたことがありました。そこからしばらく落ち着いてはいたのですが、とあるテレビがやっていました。
確か家庭内ですごくキレる人で、更生施設らしきところに両親に預けられた少年のテレビでした。その人を見て
「あんたも感情を抑えられなくて、いつか人を殺すかもしれないから気を付けなさい」
と言われました。
「さんざん好き勝手なこと言って、自分はまともなつもりなの?」
「自分はキレていずれ誰かを殺す人間になると言いたいの?」
「これだけの嫌な想いをしてきて、反抗したら犯罪者扱い?」
その時ほど頭に血が昇ったことはありませんでした。
その後はもう完全に嫌になって、私はバイトで貯めたお金と奨学金を借りて、一人暮らしを始めることにしました。
初めての一人暮らしは不安でしたが、祖母といるよりはかなり気が楽でした。その後は用事があるので祖母の家に行かなければならないことはありましたが、社会人になってからはもうほとんど行くことはありませんでした。というか、行事や誘われることがあっても、拒否していました。
仲直りをしたきっかけ
そんな私と祖母はいつ仲直りしたのか、それが具体的にいつなのかは私も分かりませんが、恐らく子供が生まれてからだと思います。
結婚祝いや出産祝い、新築祝いなどをもらうようになり、私からもお礼の電話をすることがきっかけでした。別にどちらが謝ることはなかったですが、時も経ち、一緒に住むことも無いので、もういいかなとも思っていました。
母からは「死ぬ前にいつか仲直りする」と祖母が話していたこともあり、私ももう過去の事は極力忘れることにしました。
このように私と祖母は、時間と距離によって仲が改善されたのかもしれません。もしくは子供がまた引き合わせてくれたのかなとも思います。
喧嘩から仲直りをすることが人生で一番難しい
仲直りってもしかして人生で一番難しいことなんじゃないかと思います。
少なくとも私にとっては。喧嘩するほどの相手って基本的には自分の心に大きな傷を残すものだと思います。でも最も難しいからこそ、大きな自信になるのかもしれません。青木さやかさんのように。
私にとってそれは大きな自信にはなりませんでしたが、少なくとも憎み続けるよりは良かったかもしれません。憎み続けることがもしかしたら人生で一番辛いことなのかもしれないので・・
もし許せないと思うのであれば、もちろんそれでも良いと思うのです。私はもし祖母から歩み寄らなければ、私から仲直りすることはなかったかもしれません。
でも言いたいのは、もし許せない相手がいたとしても、それはせめて憎み続けるのではなく、忘れましょう。
まるで恋愛をするように、相手をずっと思い出し続ける、しかし憎しみで相手を考える時間はそれは勿体ないです。忘れることが一番の復讐です。
あと、仕返しすることは個人的におすすめできません。何か悪意をもって相手を攻撃することで、周りの評価を下げてしまう可能性があるからです。例えこっそりやったとしても、その悪事はバレることの方が大きいからです。
それはひとえに自分の損でしかありません。
人生で大切な事は、怒りを減らし、喜びを大きくすること。
許せるのであれば、許し、許せないのであれば、忘れる。それが人生を良くするうえで大切なのかもしれません。
少なくとも、憎しみに染まるあなたを見ていたくはありません。だから常に笑っているあなたでいてほしいと願っています。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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