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青木さやかさんの半生と母との確執をたどる
最近、青木さやかさんが自らの半生を綴った書籍、「母」を読みました。
青木さやかさんは、「どこ見てんのよ!」で一斉を風靡したお笑いタレントですね。私が高校生だった2000年代前半は彼女がひっきりなしにテレビに出ていたのを思い出します。
そんな彼女が2021年に出版した「母」という本。
さやかさんと母との消えない確執を描いた本ですが、その他、ホステスで働いていたこと、パチンコ依存症になっていたこと。消費者金融を「私の銀行」と呼び、何百万円も借金していたこと。出産し、離婚し、2度の手術と、波瀾万丈な人生を送っていたことが窺えます。
改めて見ると、こんな人生を送っていたんだー!と人の人生はいろいろであると感じるとともに、赤裸々に書かれた彼女の半生に驚くばかりです。
そして何より親という存在は良くも悪くも大きく子供に影響するということ。親から受けたネガティブな体験はそう簡単に子供が振り払えるものではない、ということを改めて感じさせました。
今回はこの「母」という書籍のさくっとしたストーリーを母と子のシーンを中心に見ていき、そこから学んだことを共有しようと思います。
青木さやかさんの「母」のストーリー
ホスピスで最期を迎えたい母
さやかさんの母は悪性リンパ腫の抗がん剤治療をもうしたくなかったようで、ホスピスで最期を迎えたいと本人が希望したことで、残りの人生をホスピスで過ごしたそうです。
さやかさんは母親と仲良くはなかったようです。ですが、そんなさやかさんが、母親と仲直りするというところからストーリーが始まります。
最初の章にして、主題から始まり、一番感動する場面から始まります。
中でも私が一番印象に残ったこの仲直りのシーン。ずっと確執のあった2人のわだかまりが、溶けていくのがとても感じられました。この文章は偶然か必然か、余白が多くて、このシーンに全ての感情がこもっている、そんな気がしたとても印象深いシーンです。
わたしは、今日母に言うんだと決めてきたことを伝えた。
「お母さん」
「なに」
「ごめんなさい、わたしは、いままで、いい子じゃなくて」
わたしの口から出た、その音は、いままで生きてきて一番優しい音みたいに、わたしには聞こえてきた。
天井をみていた母は、わたしの方を向いてこう言った。
「なに言ってるの、さやかは誰よりも優しいでしょう」
しばらくしてから、わたしは、
「そうだね」
と言った。
母は、「そうだよ」
引用:青木さやか(著)「母」より
と答えた。
決して褒めなかった母親
さやかさんはもし母親を選べるとしたら、今の母親を決して選ばなかったと言います。
なぜさやかさんとお母さんは仲が悪かったのでしょうか?
さやかさんのお母さんは、いつも勉強しなさい!と押しつけていたそうです。そしてどんなに頑張っても、決して褒めなかったと言います。褒めなかったというよりは、私には否定している、と感じました。
「お母さん、今日テストね、85点だったよ」
わたしは褒めてもらえると思った。母はこう言った。
「どこを間違えたの?」
「・・・・」
「次は100点とらなきゃね」
「わかった」
ある日はこう言った。
「今度のピアノの発表会、『エリーゼのために』を弾かせてもらえるようになったの」
わたしは、『エリーゼのために』が弾きたくて、退屈なピアノの稽古を頑張ってきた。これは褒めてもらえると思ったら、母からかえってきた言葉は、こうだった。
「『エリーゼのために』は、去年、もうえりちゃんは弾けてたねえ」
「そうだね」
「えりちゃん、うまく弾けとったわ」
「そうだね」
「本番で間違えないように、練習しなさい」
「そうだね」
引用:青木さやか(著)「母」より
「離婚しているから、ざんねん」の離婚をした母
さやかさんは母が、物事の評価を植え付け、そういうものだと思い込んでいたそうです。
「大学を出ていないから、可哀想」
「離婚してるから、ざんねん」
「雨だから、気分が悪い」
ところが高校生の頃に、大きな出来事が起こります。
両親の離婚だったそうです。「離婚しているから、ざんねん」と言って最もみっともないことだと言っていた母親が離婚すること。さやかさんにとってもそれはとても大きなショックだったようです。
その後ほとんど会話をしなくなり、母が帰れば階段をかけあがって自室にこもっていたようです。
東京で一旗あげる
その後さやかさんは26歳になり上京します。
そして彼氏と同棲したこと、パチンコ漬けの毎日を送っていたこと、消費者金融でお金を借りまくっていたこと、ホステスをしていたこと、雀荘で働き出したこと、出会った男性と一夜限りの関係を持ち逃げられたこと・・
などなど、上京してからの青木さやかという人間の売れるまでの過程がとても多く詰まっていて面白いのですが、今回は母子についてをスポットを充てたいので割愛します。
そんな過程を歩みながらも、タレント青木さやかはブレイクし、忙しい仕事をこなし、お金は貯まっていき、誰もが羨む成功を掴んでいきます。
しかしさやかさん自身には常に葛藤がありました。どれだけ売れても、どれだけお金があっても、彼女自身の孤独は埋まらなかったようで、私は私が嫌いだったと言っています。
「わたしの大事なものに触らないで」
後にさやかさんは結婚、出産を経験します。
しかし、里帰りは断固拒否。東京で出産したようです。
母親となるべく会いたくなかったからということもありましたが、子供が生まれるとどうしても会わないということは避けられない瞬間がやってきます。
それがさやかさんが長女を出産した1週間後、家に帰ることになった時の出来事でした。
当時は義母の助けもあり、なんとか和やかに過ごしていたのですが、義母が帰って母がいる空間になると、それは息苦しかったと言います。母は機嫌良くさやかさんの長女であり、孫である赤ちゃんに話しかけていたようですが、さやかさんのこれまでの憎悪などは消えることはありませんでした。
母が娘を抱いた瞬間、わたしは、
「わたしの大事なものに触らないで」
と強く思った。
あなたには抱く資格などない。
あなたはわたしに何をしてきたのか。
あなたが幸せでいるところを、わたしはみたくない
あなたはわたしと違う世界で勝手に生きてくれたらいい。
(以下略)
そして、「わたしは大事にされてこなかった、そんなわたしの娘をよく抱けるよね」
と、意味不明なことを口走った。
母は、
「なんなの」
と睨んで、
「私のことが気に入らないんでしょう、帰るわね」
と、言った。
わたしは、止めなかった。息が荒くなった。早く出て行ってほしかった。
引用:青木さやか(著)「母」より
肺ガンになる
その後、さやかさんは肺ガンを患います。
幸い手遅れになることもなく、発見も早かったようで命に別状は無いようでしたが、手術する必要はあったようです。
無事手術は成功し、術後も順調だったさやかさん。そんな彼女の2人部屋の病室の奥には大学生の女の子が入院していたようで、かなり長い間入院しているようでした。
ある日、女の子の母親がお見舞いに来ていて、2人が会話しているなと思ったらこんな出来事があったそうです。
5分くらい静かになって、お母さんは言った。
「寝れたねえ」
それはそれは嬉しそうに、精一杯の明るい声で言ったお母さんの言葉を聞いたとき、母がどれほど娘を思っているかどうしても心の中に入ってきて、わたしは声を押し殺して泣いた。母になったいま、もしわたしの娘が隣の女の子だとしたら、と思うと、このお母さんの気持ちが入ってくるのが苦しすぎて、一刻も早くそこから立ち去り亡くなった。
(以下略)
そのお母さんの、「寝れたねえ」
は、わたしが子どもの頃、40度の熱を出したときのことを思い出させた。タオルで包んだ水枕にわたしの頭をおき、洗面器の氷水で、何度もタオルを冷やしては替え、のせ続けた母。そして、数時間おきに水銀の体温計で熱をはかり続けた母。とても冷えたミカンとモモの缶詰をそのときだけは食べさせてくれた母。そして、わたしが少しだけ、たぶん、5分くらい眠れたとき、「寝れたねえ」
と言った母を思い出した。
やっぱり、母に病気のことを言わなくて良かった、と思った。そして、母が死ぬまで言わない、と誓った
引用:青木さやか(著)「母」より
さあ、どう生きていく?
その後さやかさんは2度目の手術を乗り越えています。
そこから少しずつさやかさん自身にも心情の変化があったようです
わたしは少し学んだ。こわいのは、病気というより、これからどうなるのか、という不安である。病気のことを考えない瞬間こそ、笑える時間であり、それが未来に繋がっていく。不安は不満にかわり、いつしか負の感情が、わたしとわたしの大切な人たちを巻き込んでいく。
どうすれば不安を持たない自分になれるのだろうか。いつか誰にでも訪れる、さようならの日まで、安心感の中、笑って過ごしたい
引用:青木さやか(著)「母」より
自分に問う。
さあ、どう生きていく?
きっとここから母と仲直りする方へ向かったのではないかと思います。
そして最後の章で「人生は仲直りだ!」と題しているように、母と仲直りし、その母と仲直りできたことが1つの大きな自信に繋がったと述べています。
親との確執を解消し、仲直りする方法は?
こうして青木さやかさんの書籍を見ていると、「仲直り」って良いなと思いました。
親子だからこそ何よりも嫌な部分や許せない部分というのが見えてしまいます。だからこそ確執というのは深まってしまうのかもしれませんね。さやかさんのようにどうしても許せない、どうしようもない親との確執を解消し、仲直りする方法はあるのでしょうか?
個人的には私は親子関係であっても、無理に仲直りをする必要は無いと思っています。
仲直りというのは人や常識に押されて仲直りをするものではなく、自分の気持ちと相手の気持ちをいつか整理し、折り合いを付けるタイミングがどこかで来るものです。
それが明日なのか、1年後なのか、10年後なのか、どちらかの最期の瞬間なのか、分かりません。一生許せないのであれば、一生許さなくても良いと思うし、いつか許し合えるタイミングが来たら、その時に仲直りをすれば良いのかと。
私も10代の頃は何度も親とぶつかりました。見捨てられたと思う時も、許せないと思う気持ちもありました。ですが、自分が親になって初めて家族を支えること、子育ての難しさを経験し思うことがありました。
「自分の力で家族を養うってこんなに大変なんだな」
「子供を育てるってこんなに難しいんだな」
母は家事と育児の両方をこなし、家計を30年近く支え続けました。父もほとんど休みが無い中、30年近くずっと会社で働いていました。
2人の真似が出来るか、と言われたら私は正直厳しいかな、と思います。だからこそ今になった両親の偉大さや尊敬をしみじみと感じることが出来ています。
いつか親に対してそういう感情を抱ける瞬間があるかもしれません。きっとそういう時が、過去を忘れて仲直りが出来る瞬間なのかもしれませんね。
親子関係を良好に保つためにしてはいけないこと
最後にこの「母」という本から、子供に対して絶対にしてはいけないことを2つ挙げておきます。
- 子供の努力や頑張りに対して否定をしない
- 固定概念や絶対を押しつけてはならない
子供の努力や頑張りに対して否定をしない
子供が親に対して絶対に思うことは、子供という存在は大人に認められたい、褒められたいと強く思うのです。
頑張った過程や結果を認めてあげることで、子供の自己肯定感は上がり、情緒が安定します。そして良好な親子関係が生まれます。
ですが、褒め方が悪かった、褒めなかった、より最悪な行動が、子供の頑張りや努力を否定することです。
青木さやかさんも褒められたくて85点のテストを見せましたが、褒めるどころか否定をされています。母親に認めてもらうために頑張ったピアノの稽古に関しては、さらに人と比較されるという余計な一言まで付いてきています。
これは子供としてはかなり自身を無くしますし、親に対して憎しみを抱いても仕方がないかなと思ってしまいます。
「あなたならもっと出来るはず」
これは一見認めているようですが、これは否定であると捉えられると同時に子供に過度なプレッシャーを与えてしまいます。
何が悪かった、どうすればもっと出来るようになるのか、は親が考えることではなくて、子供が自ら考え、みつめ直し、向上させていくことです。親の役割は、やってきたプロセスを認めてあげること。これだけでそれ以上の事は必要ないんです。
固定概念や絶対を押しつけてはならない
「絶対こうではならない」という考えを他人に押しつけてくる人ってかなりウザい人ですよね?でもそれは子供にとっても同じです。
青木さやかさんの母親も、自分の中に絶対と言える固定概念を持っていました。
「大学を出ていないから、可哀想」
「離婚してるから、ざんねん」
「雨だから、気分が悪い」
もちろん何を思うのも自分だけなら別に構いません。問題なのは、それを他人に押しつけてくることです。そしてその絶対を自分の都合の良いように曲げてしまうと、子供にとっては失望です。
現にさやかさんの母親は、離婚というさやかさんにとっても最悪な形で自分の信念を都合良く曲げてしまう結果になってしまいました。
これは子供にとってはとてもショックです。
こうした事が、さやかさんの自己肯定感の低さ、自分が自分を嫌いであった根本的な要因だったのだと思います。褒められなかった子供の多くは幼少期に同じような体験をしているので、さやかさんの人格形成に少なからず大きく影響しているものだと思います。
子供とは、自分の遺伝子を受け継いだだけの他人
私は、子供を「自分の遺伝子を受け継いだだけの他人」と捉えています。
「めっちゃ愛情無さそうな考え!」
と思うかもしれませんが、どんな夢を描くのも、どんな未来を築いていくのかも、それは親が決めることではなく、子供が自分の経験や信念に基づいて決めていくものだからです。
親というのはそのサポートをする役目であり、夢や方向性を決める監督ではないのです。
自分で学び、自分で考え、そして自分で自分の方向性を見つけていって欲しい。子供に願うのは、私はそれで十分だと考えています。
さいごに
今回タレントの青木さやかさんの書籍を通してたくさんの事を学んできました。
「母」というタイトルの通り、さやかさんの人生には良いことも悪いことも、どこか生きていくうえで母という存在は大きな影響を与えていたのかもしれません。
そしてそんな確執がありながらも、「仲直り」ということができ、前を向くことが出来たさやかさんもまた立派であると思います。
私自身たくさんの育児について書いているのは、もちろん子供自身の能力や可能性を延ばすことをコンセプトにしていますが、やはり親という存在が子供にとってかけがえがなく、親子との良い関係を築くことが最大の子供の可能性を延ばす方法だと感じています。
ですが、親もまた人間ですし、子供も自分の考えを持った「誰か」です。意見の食い違いや確執が生まれることも必ず出てきます。
でもそんな食い違いもいずれわかり合うことができ、許し合えることも出来る。それが「親子」であり絆なのかなと思います。
私も娘と何があってもずっとわかり合える「父」でありたいと願います。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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